東雲の親孝行計画・やすらぎの栃木路 その2 BACK【その1】へ戻る【その3】へNEXT

【11月3日】火曜日
 母の撤退表明と大幅な行き先修正

 このところ、毎晩のようにドライブドライブとそわそわ騒ぎ立てて、両親をドライブムードに巻き込んで盛り上げようと、私なりの努力をしていたつもりだった。父はうまく乗ってくれたが、一方の母は今一つ乗り気でない。しかし決行日は迫っている。9月下旬の初乗り以来もう1度、鉄研の同輩・A君のクルマを 5kmほど運転させてもらった。レンタカーのメンバースカードも取り寄せた。そろそろ行程を決めて、レンタカーの予約に行かなくては、と思っていた矢先のことであった。

 「免許取ったばっかりで、まだ慣れてないんでしょ。あんたが運転する車はこわくて乗りたくない」

 母に言われてしまった。申し訳なさそうな口調ではあったが、ドライブ計画からの、明らかな撤退の意思表明であった。

 私が運転しているところを一度も見ていないのに、単なる想像だけで私の運転を否定されてしまった。そりゃあ確かに、友達のクルマをちょっと借りただけで、そんなに長距離を運転していないし、免許取得後2ヶ月で若葉マークは外せない。初乗りでは、5分ばかり無灯火で旧中山道を走ってしまった。しかし、教習中もその後も、あわや事故という場面には一度も遭っていない。また、慣れないうちだからこそ、慎重に運転するというものではないか。

 ……という反論をしてまで、遠慮がちに嫌がる母をクルマに乗せようとは思わなかった。今度のドライブは白紙撤回だ、とその晩こそは硬く心に誓ったが、翌朝にはまた道路地図の北関東のあたりを眺めて思いをふくらませている私であった。

 は、依然として乗り気であった。母が行かないとなると、土日を泊りがけで、父の実家へ行こう、と言い出した。目的地は、栃木県矢板市。私は今年のお盆も正月も行かなかった。予定していた行程の倍の遠さに若干躊躇したが、自分で行きたくてセッティングしたドライブである。旅の計画に様々な“ついで”を盛り込む“東雲流の旅”を、車の旅にも応用してみることにした。


【11月5日】木曜日
 夜更けの大規模予行演習

 その日は授業が午後から始まる日だったが、早目に大学へ出てきて、大学生協のトラベルセンターでレンタカーの予約を取ることにした。

 父とは前の晩に、今度のドライブの諸費用に関する約束をした。……「レンタカーに関する料金は私が負担する。それ以外の費用はすべて父が負担する。」……きわめて明快な約束である。高速道路の通行料、駐車料金、施設入場料、飲食・おみやげ代、etc... と、“それ以外の費用”がどこまで膨らむか、若干の懸念を抱く父であった。

 「Xデー=11月7日」ということは、鉄研の同輩・A君ら他の同輩にも宣伝し、いろいろとアドバイスを受けていた。「群馬で運転する時は、追い越しと割り込みに気を付けろ」とか「レンタカーは大学生協で予約すれば、約2割引になるはず」などなど。父の会社の福利厚生で、レンタカー料金が4割以上安くなるらしいという情報もあったが、5日前までに父の会社を通して申し込まなければならず、また次の機会へと見送られた。

 二人旅だから一番小さな車種でよい、と軽自動車(ミニカー)クラスを申し込むことに決めていた。ところが、トラベルセンターにあるパンフレットを開いてみると、ミニカーを含む小型クラスは、正規の料金のままで割引が適用されないとのことである。なーんだ、それなら直接地元の営業所へ申し込んで、ついでにあれこれ質問すればよかった。……そう後悔してみたが、事前に大学生協でパンフレットを持ち帰っていれば分かったことである。せっかくだからこの場で申し込み、借りる当日はクーポン券を出すだけで済むようにした。免許取りたてなので、補償増額制度には申し込めなかった。ミニカー2日間、9,975円也。

 授業を終えて鉄研の溜まり場へ行ってみると、毎度お世話になっている同輩・A君がクルマのキーをブラブラさせながらうろうろしていた。鉄研の機関誌を印刷・製本に出していたものが出来上がり、印刷会社から引き取るためにクルマを供出したとのこと。この後は後輩2人を乗せて、大いに寄り道しながら送っていくとのこと。当方の気配を察してくれたのか、「鴻巣まで行きますか?」と持ち掛けるもんだから、はやる気持ちを抑えて「いやはや、どうも」と控えめな返事をした。

 東久留米市在住のA君は運転席へ、埼玉県鴻巣市へ帰るは助手席へ。田無だか保谷だかへ帰る後輩2人足立区在住の同輩と、さらに豊島区在住の先輩まで乗せて、ゆるゆると出発。池袋〜目白間にある山手線・埼京線の“開かずの踏切”をわざわざ通って、やたら狭い住宅街の路地を縫って先輩を下ろす。ここでようやく正規の乗車定員になった。

 池袋西口の東京芸術劇場の裏手へ出て、千川通りから環状7号線へ。ときわ台にある、鉄研御用達の「環七下頭橋(げどばし)ラーメン」で夕食を取る。チェーン店でもないのに、最近TBSラジオで深夜にスポットCMを流しており、店内の冷蔵庫の扉にTBSラジオのスポンサー向け番組表《※4》が貼ってあった。鉄研メンバーはなぜか“脂(あぶら)多め”と指定するので、ラードが卯の花のようにかかったラーメンを食べさせられる。まぁ、そこそこうまいからどうってことないのだが、さすがにスープを飲み干すことは誰にもできない。

 環七を東進し、足立区内で同輩一人を下ろした。後輩2人を送るのは後回しにして、いざ鴻巣へと思いきや、すぐ近所に住んでいるという別の同輩を連れ出そう、とA君が言い出した。彼の家のそばまで行き、携帯電話で彼を呼び出し、玄関先で彼を待ち受ける。その日は一日家の外に出なかったそうで、彼はその日初めて家から出て、そのまま夜更けのドライブへと連行されるのであった。

 東京都足立区から埼玉県川口市に入り、産業道路を北上。浦和市に入ったところでコンビニエンスストアに立ち寄り、トイレ休憩。いよいよここから、私がハンドルを握る。間違いなくヘッドライトを点灯し、出発。つい先日開通したばかりの、国道16号・西大宮バイパスを通り、川越市内から吉見百穴《※5》へ。時刻は23:30、自動販売機以外の明かりは何もない駐車場で、クルマのルームランプを頼りに観光案内板を読み取った。私にとっては隣町で、遠足にも来たことがある場所だが、岩窟ホテル《※5》・ヒカリゴケ自生地などもあり、中途半端にミステリアスなスポットである。

 時計の針が12時をわずかに回って、我が家の前に到着。最近、鉄研の中で話題になっている『目蒲線物語』《※6》のテープや、『ドリフのシングルコレクション』など珍奇な唄のCDを貸してやり、クルマは東京へと引き返して行った。……30分ほどたってから後輩の携帯電話へ電話をかけてみると、すぐそばで足立区から途中参加の同輩「いっちょめいっちょめ、ワァーオ!」と叫んでいた。どうやら『東村山音頭』を聴いてしまったらしい。これでしばらくは、頭の中でエンドレスに流れ続けるはずである。


《※4》スポンサー向け番組表……ラジオ局では、聴取者向けスポンサー向けの2種類の番組表を作ることが多い。前者は番組の宣伝やイベントの告知などを掲載した華やかなもので、後者は番組内のコーナーとそれに対するスポンサーがいちいち記載された細かいものである。

《※5》吉見百穴(よしみひゃくあな)/岩窟ホテル……小高い山の斜面に水平に掘られた穴がいくつもあいているところから、その名がついた。埼玉県比企郡吉見町にある、横穴式古墳群。すぐそばの岩窟ホテルは、戦前に岩山を掘って、2階のバルコニーまである“ホテル”を造り、実際にも営業されたらしい謎の施設。崩落のおそれがあるとして、数年前から立ち入り禁止となっている。朝日放送『探偵!ナイトスクープ』にも取り上げられた。

《※6》『目蒲線物語』……唄:大久保りょう太。20〜30年前に作られたらしい。あまりイメージが良くない鉄道路線を徹底的にコケにした、伝説的コミックソング。悪意はないにしても、「♪あってもなくてもどうでもいい目蒲線」(ソフトに)連呼したり、「車内にゴキブリホイホイが置いてあるという、あの東上線!?」と叫んでみたり、差別的・侮辱的表現が随所に見られるが、“放送禁止楽曲”には指定されていない。


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