早大鉄研“怒涛の95年組”第1回同窓会旅行 その2
 (2001年2月24日(土)〜25日(日)・1泊2日)
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ろうかく湖の屋形船

【2001年2月24日(土)】午後
 昼間っから飲みっぱなしの信州路

 13:30 ろうかく湖の屋形船乗船前に、早々とお土産を買い込んでも、30分残った。まだみんな居るのかな、と信州新町美術館の分館「ミュゼ・蔵」へ戻ると、ちょうどみんなが喫茶スペースでお茶をご馳走になって出てくるところだった。一時的に雨はやんで、一行は犀川沿いの土手の上から、増水した川を眺めてみる。……ろうかく湖というダム湖なのだが、湖にしては幅が狭く細長いので、「山間部にしては幅の広い川」に見える。前日からの雪ではなく雨で、町の中も川べりも積もった雪はあらかた解けており、屋形船からの雪景色は期待をはるかに下回るものとなってしまいそう。
 奈津女橋下の乗船場には、私たちがこれから乗る屋形船へビールケースを積み込んでいるのが見える。船が出る時間にはまだまだ20分くらいあるので、それまで待合室でおとなしく待ちたいが、そんな小屋もあずまやも見えない。一応、トレーラーハウスの居室部分だけ置いてあって、屋形船のスタッフの控え室になっている模様。仮設トイレも立っているが、板が打ち付けてあったりして、使えない。さっき(私以外の)みんなが乗ってきたマイクロバスが停まっているので、その車内で待つことにする。私は帰りだけ乗るマイクロバスは、かなり年季が入っており、山道を登るときには派手な音をたてて動きそう。車体の後ろ妻面には三井寺・熱田神宮・鶴岡八幡宮のお守りステッカーが並べて貼ってあり、節操がない。

 誰に呼ばれるでもなく、時刻が迫るとみんなバスの座席を立ち、船へ乗り込む。アルミサッシと障子の二重窓で、水洗トイレもあり(当然タンク式)、発電機搭載のおかげでファンヒーターが動き、カラオケまである。思い思いの席に着き、14:00 離岸。幕の内風の料理と、地元の緬羊を用いたジンギスカン焼肉を前に、各自へ瓶ビールがゆきわたり、しばらくぶりの再開に乾杯。つい最近まで学生だった連中と、学生の身分である連中しかいないので、飲むペースは必要以上に速い。幹事のN君が用意したという日本酒も封を切られ、もはや雪景色をめでながらちびちび飲むという雪見酒の本流をやっている人はいない。かといって、学生の飲み会にはつき物のように思われる「イッキ」は全く行われないが、せっかくカラオケがあってもすすんでマイクを握ろうという御仁が現れない。じゃあ私が口火を切ろうかと選曲リストを開いたら、ただでさえ薄い本なのに、曲目の半分以上が油性ペンで消されている。話には聞いている終戦直後の“墨塗り教科書”をあてがわれた当時の児童生徒は、ちょうどこんな衝撃を覚えたんだろうなぁ、と場違いな感銘に浸っている。数と速さが売りの通信カラオケに比べて、“オフライン”の水上カラオケだからと諦めてはいたが、……まぁ嘆息である。
 船はバス停3つか4つ分くらい下流へ進んで、ダムの堰が見えないうちに上流へUターンする。ダム湖だから天竜川下りのような急流はないが、どこかとびきりの景勝ポイントに止まって20〜30分くらい景色を楽しむというわけでもない。さっき私がバスを降りた3つの美術館を、裏の川から見上げているが、特別な感慨はない。やがて乗船場を横目に見て上流へ向かい、またバス停3つ分くらいのところでくるりと旋回して下流へ向かう。結局90分の間、乗船場をはさんで下流へ上流へと、4周か5周くらいクルクル廻っていた。

 15:30 各自それぞれにほろ酔い加減となる中、もとの船着場へ接岸。酔いもまわったし寒いので、船着場の待合室かどこかで用を足したいと思ったが、“仲居さん”に聞いたら、陸にはトイレがないので船上で済ませてください、とのこと。ちなみに公衆トイレは、川べりの駐車場から国道へ上がり、奈津女橋の交差点を渡った徒歩5分くらいのところにあるが、そこはドライバーの休憩所でもなく(駐車スペースがない)、市街地から外れたところにあり、誰をターゲットにした施設なのかさっぱりわからない。
 待合室もかねている年代物のマイクロバスに乗り込み、15:40頃 船着場を出発。送迎がなければ、長野市内行きの次のバスは16:35発なので、時間とバス代の節約である。
 16:20頃 路線バスとは少し違うルートをたどって、長野駅善光寺口に到着。ここから湯田中へは、予定より早い列車に乗っても、信州中野〜湯田中間が1時間毎でネックになるし、予め宿へお迎えをお願いしているので早く行っても待ちぼうけを食らうだけである。そこで、ここからは予定どおり17:23発の湯田中行き特急に乗ることにして、それまでしばしの自由時間ができた。でも長野駅周辺は、ながの東急百貨店に外資系レコード店、ファーストフードやジーンズショップなど、いわば東京のコピーであり、それらの店に入っても旅としては面白くない。かといって、駅ビルの中のそば屋でざるそばを食べるくらいなら、東京近郊にあるナントカ更科というそば屋へ行けばいいのだし、何より2時間後に宿へ着けば、お膳いっぱいの夕食が出ることは容易に想像できる。

土曜日の知事室前へ潜入!  そこで、幹事N君と同期もう1名と私の3人で、長野県庁の知事室を見に行こうということになった。駅前から県庁へは、市中心部循環バス「ぐるりん号」が20分おきに出ているのだが、次の発車が16:40というのは、少々心細い時間配分になる。そこで、バス乗り場からタクシー乗り場へ移動、運賃は割り勘することになった。バス通りは土曜の夕方でもあまり渋滞せず、長野駅から10分足らずで県庁駐車場へすべり込む。一人あたり300円弱で、まぁ適当な値段になった。
 さて、土曜日のお役所は静まり返っている。本庁舎の裏玄関などは戸が閉ざされているので、正面へ回れば、自動ドアは動かないものの脇のガラス扉から入れるようになっている。休日出勤もあるのだろう。ここで妙な言い訳をして侵入しようとすれば、かえって怪しまれる。先陣を切って扉を開いた幹事N君が、正面受付の守衛さん(女性)に「あのう、知事室を見せていただきたいんですけど」と単刀直入に申し出た。すると、「他の階へ行かれると困るんですが、……すぐそこを右へ入ってつき当たりです」と意外にもあっさり入れてくれた。こういう訪問者は、田中康夫氏が知事に就任してから後を絶たないのだろう。
 エレベータホールを通り抜けると、中庭に面した休憩スペースがある。飲み物の自動販売機や給茶機、金融機関のATM、県内情報を検索できるタッチパネル式の情報端末などが設置されている。壁の一面がガラス張りになっていて、その内側はカーテンが閉まっている。中が見えないから分からないが、ここが例の知事室である(写真)。3人で温かい飲み物を買って飲みながら、ロビーに腰掛けるわけでもなく、フラフラしている。ときどき警備員さんが、われわれに怪訝そうな視線を向けながら出入りするのは、単に飲み物を買いに来るだけか、それとも監視に来るついでに飲み物を買うのか。

長野市内循環バス「ぐるりん号」  16:47 県の広報誌を1枚頂戴し、そそくさと退出。バス停県庁の向かい側には、しなの鉄道《※3》の本社があるが、ちょうど循環バス「ぐるりん号」がやってくるところだったので、表敬訪問は断念。このバスは長野駅前を出ると善光寺参道を北上、善光寺大門で左折して、信州大学から県庁などの官庁街を南下、いったん長野駅前を横切ってから長野大通りを北上し、市役所に近い千歳町から権堂を経て善光寺大門へ戻り、善光寺を背に参道を戻って長野駅前に入るという(サミットストアのマークのような)コース。長野市中心部は、最近各地で流行っている100円区間を導入しており、この「ぐるりん号」は100円区間をくまなく廻る。川中島バスと長電バスが共同運行しており、たまたま乗ったバスは運転手が女性だった。16:57 長野駅前(川中島バス案内所前)着。市街地を走るにしては小柄なバスは、そのまま長野大通りへ進んでいった。

 タクシーや循環バスでスムーズに移動できたので、かえって早く着きすぎた感もあるが、駅前ロータリーからゆっくり地下へ下り、長野電鉄 長野駅に入る。この待ち時間に他の面々は、駅ビルでうろうろしたり、地下駅の中でおとなしく座っていたりと様々。ここから湯田中までの運賃は1,130円で、特急料金が別に100円かかる。各停はほとんど信州中野止まりで、日中の信州中野〜湯田中間は特急しか走らないから特急料金は不要。100円をケチるには、1本前の各停で信州中野まで先行して特急湯田中行きに乗り継がなければならない。他の鉄道会社なら、十数人いる参加者のうち1人か2人くらいが挑むかもしれないが、長野電鉄の各停に用いられる車両は、つい最近まで営団地下鉄日比谷線で走っていたのを安く譲り受けた“中古車”なので、今さら乗る気になれないのである。
 駅の自動券売機とは別に、窓口で「長電フリー乗車券」を売っている。全線2日間乗り降り自由で2,770円長野〜湯田中・長野〜木島ともに片道1,130円で、単純往復しただけでは元が取れない。私は長電のうち屋代〜須坂間と権堂〜長野間だけ乗ったことがあるので、これから長野〜須坂〜信州中野〜湯田中間を乗り通し、明日信州中野から木島へ向かえば全線完乗となる。この後木島から長電で長野へ戻れば、間違いなく「フリー乗車券」の方が安く上がるのだが、木島から飯山へ出てJR飯山線にも乗ってみたい。よって、フリー乗車券は使いきれないので、遠慮することにした。

 17:23 特急のなかでも停車駅が少し多い「B特急」の湯田中行きが[長野]を発車。回転しそうで回らないぐらぐらしたロマンスシートを装備した、地方私鉄にしては珍しい自社オリジナルの特急車だが、実は(さっきの“地下鉄のお下がり”をもさしおいて)長野電鉄で最も古い車両である。これで特急と名乗るのなら、そろそろこの車両をつぶして、JR西日本あたりから117系を安く買えばいいんじゃないの、などと余計な心配をしているうちに、前日の夜更かしと旅の疲れが出てきて、ついウトウト。初めて乗る路線だからなるべく目を開けて車窓を観察しなければ、とも思ったが、夕方5時半過ぎでもう薄暗いので、妙なプライドは打ち捨てて睡魔に身を預けることにした。

 [信州中野]を過ぎたあたりで、うつらうつらしながら今日の旅を振り返っていたが、記憶のプレイバックが信州新町にさしかかった所で、手荷物が一つないことに気付いた。といっても、新町で暇つぶしに買った土産の菓子の紙袋で、旅支度や金目のものはトートバッグに詰め込んで無事である。送迎のマイクロバスで、車内が狭いくせに座席は一丁前にリクライニングするんだなぁなどと無意味な関心をしながら、紙袋を網棚に載せたのを下ろし忘れたのである。幹事のN君が、マイクロバスの運転手さんから名刺をもらっていたので、宿に着いてから連絡を取ってもらい、後日めでたく「新町せんべい」「ろうかく湖」(TM)が宅配便の着払いで届いた。

 18:12 列車は[湯田中]駅に進入。長電で最も急な40パーミルの勾配を登りきった所が湯田中駅1番ホームの途中で、そこから前方にホームが2両分しかないので、3両編成の特急列車は最後尾が坂から抜けきらずホームから離れている。だからもう1両分前進して、ポイントを切り替えて1両分バックして、ようやくドアが開く。いわゆるスイッチバックで、自動車なら“縦列駐車”の要領である。なぜ前進したところにホームを伸ばさないのか? ……実は駅のすぐ先に踏切があり、道路をつぶせないのである。終着駅のさらに先にある踏切なのに、1時間に2回(1時間おきの列車が到着する時と発車する時)遮断機が下り、しかも列車は走り去らずに踏切の中で立ち止まり、そして引き返していくという、実は不思議な踏切なのである。

 改札口を出て右奥は長電バスの待合所で、志賀高原・白根・草津方面へのバスがここから出る。駅を出た目の前には、近郷の温泉旅館がお迎えのバスをつけている。その中の、私たちがお世話になる渋温泉「小松屋旅館のマイクロバスへ乗り込む。さすがに宿の第一印象となる送迎車は、昼間の年代物とは違って新しく小ぎれいである。18:25頃 温泉街の狭い路地を分け入って、小松屋旅館に到着。玄関先の歓迎札にN様御一行様」とあるのは、早大鉄研の代表者がいないので鉄研を名乗るわけにいかなかったのか、それとも鉄研の名を出したくなかったのか。さまざまな思惑が渦巻く中、一行は部屋へ通され、夕食までの間は温泉に向かったり、部屋で寝転がったり、思い思いに過ごす。
 私は、数日前に信越放送ホームページで偶然見つけたローカル番組「レールにのって」が、ちょうど土曜18:50からなので、夕食前の一風呂を我慢してテレビの前に待機。JR東日本長野支社が提供するこの番組は、鉄道マニアの必要以上の期待をすっきり裏切り、JRでどこかへ出かけましょうという旅行需要掘り起こし番組であった。しかもこの日は〔あさま〕で行く東京をテーマにし、池袋のサンシャインシティを紹介した後は、東京の展覧会・演劇ガイド。……JR東海が受け持つ中央西線・飯田線沿線地域にも放送されているんだよなぁとか、名古屋へ行こうとは絶対に言わないんだろうなぁとか、“鉄道マニアとしての消化不良”を余計な詮索で紛らしながら、ほどなく夕食の時間がやってくる。

 大広間がパーティションで半分に仕切られ、お膳がコの字型の宴会隊形に並べられている。山あいの旅館なのにマグロの刺身が出てくる不可解さを補って余りあるボリューム。鴨肉を割り下で煮るすき焼き風鍋をはじめとして、川魚の塩焼きや里野菜の煮物、そして味が濃すぎずシャッキリした野沢菜など。昼の屋形船から開けずに持って来た2本目の日本酒や、宿で出すビールなども酌み交わし、みんな上機嫌である。そして仕上げには、細かく刻んだ野沢菜を追加注文して、余ったご飯でお茶漬けとしゃれ込む。この後22時から部屋でまた飲むぞ、と物騒な発表があったり、「今飲んでいるのが1次会なら屋形船は0次会か?」「いや、部屋で飲むのがメインの1次会で、今は0次会。だから屋形船はマイナス1次会(笑)」などと冗句が飛んだり、始まりも終わりも際限なく飲むつもりの連中である。

 およそ2時間の夕食ご宴会を終えて、21:25。部屋に戻れば、布団が敷いてある。幹事N君は若手2名を伴って、22時からの飲み会に備えて買出しに出かけた。夕食前に風呂に入れなかったので、ようやく浴衣に着替えて入浴へ。屋内の大浴場で身体を洗いしばらく温まった後は、当旅館ご自慢の“庭園露天風呂”へ。渋温泉は源泉が比較的高温なので、冬の露天風呂でも冷めないのがありがたい。ちょうど雪がちらつき始めたところで、じっくりつかっているうちに身体全体がだんだん温まり、上がった後は浴衣に丹前だけでも湯冷めしない。

 22:00 1次会だか2次会だかはっきりしないが、とにかく部屋で飲み会の続きを再開。総員十数名が車座になり、まずはビールで乾杯したが、本日3回目の乾杯なので旅の疲れも相まって、まったりとした雰囲気。当座のつなぎに各自の近況報告を、と私から提案し、今春で社会人3年目に突入する者から、大学に6年通って今春卒業できるかどうかよくわからないという人まで、意外に楽しめたのは幸いであった。その後、なし崩し的に宴はだらだら続き、途中お風呂へ行ってまた復帰する者も。私は24時頃に退散し、真っ先に布団にもぐりこんだのである。



《※3》しなの鉄道……長野新幹線開業に伴い、並行在来線(信越本線)のうち横川〜軽井沢間はJRバス関東へ転換。そして軽井沢〜篠ノ井間は第3セクター:しなの鉄道へ移管された。施設はJR東日本から貸し出し、車両もJRとして使っていたものを払い下げてもらった。
 長野(北陸)新幹線以降、整備新幹線は並行在来線を廃止する前提でつくられており、第3セクター化されてもそのままでは経営が成り立たないから運賃をどれだけ上げるか、また長距離列車(旅客・貨物とも)をどうするか、など問題は山積である。そもそも鉄道会社が(儲からないから)やりたがらない整備新幹線の運営を、地元出身の政治家がてこ入れし、国策として決定し遂行することにもはや無理がある、と指摘する声も少なくない。

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