早大鉄研“怒涛の95年組”第1回同窓会旅行 その1
 (2001年2月24日(土)〜25日(日)・1泊2日)
 ★東雲が乗り降りしたり通過したりした駅名・停留所名等には[]を付ける。
 ★列車名・バス便などの愛称には〔〕を付ける。
 ★注釈を要する語句は脚注へのリンク《※0》を張ってある。
  また、短い注釈はカッコ書き(こんな感じ)にしている。

【2001年1月3日(水)】
 靖国神社“鋼”式参拝と新世紀の大構想

 早大鉄研の同期の連中に「鉄道の神様へ初詣に行こう」とお誘いがかかったのは、20世紀も押し詰まったある晩のこと。1月3日の夕方に待ち合わせて初詣へ出かけ、そのまま高田馬場界隈へ新年会に突入しようという寸法である。
 ……そもそも日本は、八百萬の神々がすむ国。カラオケの神様がいるくらいだから、鉄道趣味人が崇め奉る神様がいてもおかしくないはず、とは思っていたのだが、初詣の待ち合わせ場所が「営団東西線九段下駅B線《※1》改札前」。こうなると参詣先は一つ、靖国神社しかない。観光バスの駐車場を兼ねた長くて広い参道を進みながら、謎はつのるばかりである。……何故、靖国神社なのか。
 お正月ならではの、境内に建ち並ぶ物売りの屋台をひやかしながら、つき当たりの拝殿で柏手を打ち、新春“大吉”増量キャンペーン中のおみくじを引いて、――とおりいっぺんの初詣を済ませたら、拝殿に向かって右へ入ると、なんと戦車や大砲などの重火器とともに、蒸気機関車が1両、寒空の下にさらされている。そのSLは、ベトナムあたりで日本軍が引いた鉄道のために改造され、実際に走っていたのだという。ちょうど境内の配置換えでSLに関する説明の看板は外されていたのだが、文学部のY君が事細かに案内してくれた。SLがそこにいる経緯を知ったからには、このSLを目当てに靖国参拝することが鉄道趣味の範疇を脱していて、誰かさんから好戦派のレッテルを貼られてしまうのだろうか、といらぬ心配を危惧したりしなかったり。

 九段下から高田馬場へは、営団地下鉄東西線で10分足らず。正月3日の晩からのれんを出している飲み屋も奇特なら、半分くらい席が埋まっていることも奇特であり、私たちもその一部であることがまた奇特である。初詣で冷え切った身体を内側から温める、という決まりきった前口上を置いて、新年会だけ参加の面々も徐々に合流して、21世紀初の乾杯。
 今春大学院を卒業して、いよいよ社会復帰かと思ったら鉄道総研へ入ってしまうというN君が、学生時代最後の思い出に、今春廃止が報じられている「のと鉄道輪島線」で貸切列車をやろう、と言い出した。能登半島を走る旧国鉄の赤字ローカル線を引き継いだ第3セクター鉄道だったが、経営主体が変わってもすぐに収支が好転するわけではなく、近距離は自家用車が、中距離は並行するバス《※2》がお客を吸い上げているのだろう。

 なぜ鉄道愛好家は廃止直前に殺到するのか、なくならないうちに見に行けばいいじゃないか、とおっしゃる方がいる。明解にお答えしよう。……当分生き残るものは、後回しにできるから。本やビデオを、後で見ようと思いつつ溜め込んでいるのと同じ。もしあなたの家のテレビが2年後に、地上波デジタル化に伴い買い替えを迫られた時に、今のビデオデッキが使えなくなるとしたら? 間違いなくあなたは、録りだめしてあるビデオテープを片っ端から見直し始めるだろう。
 ちなみに、テレビの地上波がデジタル化しても、手持ちのビデオデッキが即座に使えなくなるかどうかは、まゆつば物である。あくまでたとえ話なので、ウソかホントかは時期が迫ったら各自で確認していただきたい。

 その のと鉄道で、イベント型車両を借りきって定期列車の後ろにくっつけてもらい、一般客の冷めた視線を背に受けながら車内で飲み食いしようか、という話である。春まで学生の身分であるN君が言い出しっぺの原則として、鉄道会社への交渉など一切のセッティングを取り仕切ることになり、その晩は散会となったのだが、案の定というかなんと言うか、同じことを考えている連中で3月末まで予約が一杯になっているのだそうで、あっさり断念。
 しかし、転んでもただでは起きないN君は、“屋形船で雪見酒”へと機敏に方向転換したのである。さらに、これまた廃止の噂が流れている長野電鉄:信州中野〜木島へもにらみを利かせて、宿泊地は信州湯田中・渋温泉を押さえるという手回しのよさ。……かくして、「2月24日11時、JR長野駅中央改札口前」という早大鉄研流の現地集合の通達を受けて、旅上手の面々は好き勝手な経路で長野駅へ向かうのであった。


【2月24日(土)】
 羽田空港よりも長野市が近い!?

 出発前夜は、旅支度のためにも早めに仕事を切り上げたかったのだが、年度末が近いせいもあり、結局21時過ぎまで居残った。家に着くのは22:30、夕食を軽く取って入浴し、それからようやく旅支度に取りかかったので、その夜の就寝は2時頃であった。
 当朝は7時半に起床、休日の朝としては異例の早起きである。うすら寒い雨模様なので、玄関の片隅にあったビニール傘をさして、9:10 徒歩で出発。日常用の、布張りの大きな洋傘もあるのだが、ビニール傘のほうが身軽だし、なくしてもあまり惜しくないし。

 9:27 [鴻巣]から高崎線下り普通列車に乗車。快速の直後なので、15両編成の車内はガラガラ。一方の上りホームは、平日朝の通勤時間帯と変わらない混み具合である。休日のお出かけは9時前後にゆっくり家を出る人が多いようで、高崎線はお昼頃まで上り列車が混雑する。
 9:43 [熊谷]着。コンコースの売店で、温かい緑茶とポッキーを買って、新幹線ホームへ上がる。
 9:52 3日前にプッシュホン予約でおさえた〔あさま505号〕の指定席は、長野寄り先頭・8号車の3B。3人がけの真ん中だが、左右に先客はない。それなら窓際の3Aか通路側の3Cをくれればよいのに、コンピュータはどういう考え方をしているのか、よくわからん。とりあえず、窓際の席の主がくるまで、窓際に座ることにする。車掌さんが車内改札に廻って来たが、「この席の方が来たら、戻ってくださいね」などとは言われなかった。

 10:17 高崎に続いて、1日9往復しか停まらない[安中榛名]に停車。この列車に乗るべくホームで待っていたのは、若い女性が1人だけ。反対に下車客は、カーブで後方がよく見えなかったがおおよそ10人くらい。冷たい雨の中、秋間梅林へ出かけるのだろうか、それともゴルフ場へ向かうのか。
 せっかく長野新幹線が群馬県内を通るのだから、新駅を一つ作れ、と群馬出身の大物政治家がごねたらしいので、安中市の山の中にできてしまったのだが、一日の乗降客数が500人を切るという凄まじさ。安中の市街地から安中榛名駅まで狭い山道を登っていくよりも、広くて平らな国道バイパスで高崎へ出るほうが速いし、高崎に停まる新幹線は安中榛名の約6倍。だから新幹線に乗る安中市民の大半は、在来線かクルマで高崎へ出るのである。開業前の、道路が未整備な山あいの集落をダンプトラックが行き来するところへ、前述のN君ら鉄研のメンバーと一緒に見に来たことがあったのだが、開業後は通過するだけだったで、また近いうちに「峠の釜めし」を買いに行ってみたいものである。

 10:54 軽井沢で乗客の半分くらい降りたのは憶えているが、うとうとしているうちにもう[長野]へ着いてしまった。結局、3人がけの両隣には、誰も来なかった。
 鴻巣から熊谷まで普通列車で16分、熊谷から長野までは62分。乗り換えも含めて、鴻巣から長野まで1時間半を切ってしまった。鴻巣から羽田空港まで南下すると「鴻巣<高崎線快速45分>上野<京浜東北線快速14分>品川<京急快特15分>羽田空港」だが、高崎線の〔快速アーバン〕と京急の〔エアポート快特〕がうまい具合に接続せず、羽田空港まで90分を切れないのである。やっぱり新幹線は速い。

 11:00 売店で『信濃毎日新聞』を買い求め、手洗いを済ませて改札を出ると、見覚えのある面々が集まっている。N君と同じく大学院修士課程を終える人や、学部を4年で卒業する人、学部に6年居て卒業するんだかしないんだかという人まで。
 さて、長野県上水内郡信州新町の“ろうかく(琅鶴)湖”で屋形船に乗り込むのが、14時。長野から新町へ行くバスは少なく、新町14:20着の前はなんと12:00着で、長野市内11:15〜20発。よって長野駅11:00集合時間厳守で、 のりばまでは路線バスで45分ほどかかるので、長野駅から徒歩5分のバス停末広町から11:19発のバスに乗らなければならないのだが、幹事のN君によれば、直前になって屋形船の業者が送迎バスを出してくれることになったそうで、長野駅前11:45発。それでも新町に着いてから乗船まで1時間半くらいあるのだが、片道1,130円のバス代が浮く上に、長野駅での乗り継ぎ時間に余裕ができる。東京10:00発→<ノンストップ>→長野11:19着の最速〔あさま3号〕で間に合うのだが、送迎バスが決まったのが2〜3日前で、情報の錯綜を避けるために知らせなかったという、N君なりの配慮であった。

 往復2,260円は大きい。しかし、はじめから路線バスで往復するつもりでいたのだし、団体行動から外れても所定の時間に遅れる訳ではないから、せっかくだから片道くらいは乗ってみようと思い立ったのである。ところが、バス好きも少なくないはずの鉄研の面々が、まさか他に誰もついて来ないとは。ほぼ同じ道をほぼ同じ時間で走るのに1,130円余計にかかる路線バスを敬遠するのは、まぁ至極まっとうな判断である。
 11:23 前述のバス停末広町の一つ手前[バス停千石入口]から、定刻4分遅れの川中島バス[16]新町営業所・大原橋行に乗り込む。長野市役所に近い千歳町から、長野駅の近くを通って国道19号線を犀川に沿って上り、信州新町へ進む。JR安茂里駅から徒歩5分のバス停西河原に停まり、ここ数日の雨で水かさが増した犀川のほとりに立っているバス停小市上町を通過する。国道19号には、途中の集落をショートカットするトンネルもあるが、路線バスは横着せずにバス停に立ち寄っていく。

 昭和17年と犀川で最も古いダムに水内(みのち)発電所を過ぎれば、そのダム湖が“ろうかく湖”である。長野市内で乗ったときの5分遅れを守りつづけたまま、12:02 乗船場に近いバス停新町営業所の一つ手前[バス停新町美術館前]で下車。信州新町美術館に、“ろうかく湖”の名付け親である画家:有島生馬の記念館、そして信州新町化石博物館、と3つの文化施設が集結しているのだが、どの施設にもあんまり入る気が起きない。小雨そぼ降る中、降りたバスの後を追うようにチンタラ歩いていくと10分ほどで新町の中心部に突っ込むが、国道19号線が町に入ると歩道がなくなってしまい、古い宿場町の風情。そのまま川中島バス新町営業所を通り過ぎ、ちょっと新しい建物の郵便局、“百貨店”とは名ばかりの平屋建ての雑貨屋、そしてセブンイレブンなどを外からちらりとのぞきながら、次のバス停は「昭和通り」。長野市内にもある地名で、「銀座」のような地域的流行地名か。犀川はこのままさかのぼると松本盆地や安曇野に出て、国道19号線はさらに松本市・塩尻市から木曽路を経て名古屋市まで至る主要な道路で、乗用車やトラックなどが意外にもひっきりなしに行き交うものの、人通りはほとんど見えない。
 国道に沿った裏通りへ移れば、農協や書店、化粧品店に菓子屋など、生活色が濃い通りである。ちょうど昼時分、せっかく信州に来たのだから昼食はそばを食いたいと、町をうろうろ廻るのだが、そば屋はおろかレストランや食堂の類がみつからない。バス営業所の向かいにラーメン屋らしからぬ控えめな店があったような気もするが、まさか町の中心街に外食産業がないとは信じがたい。かといって、どこぞの軒先で雨をしのぎながらセブンイレブンの割り子そばを淋しくすするほど追い詰められてはいない。

ミュゼ蔵のフラワーアレンジメント展示  こうなったら、あと1時間半は送迎バスでやってくる面々と合流して時間をつぶすに限る。乗船場のすぐ上・町の入口にかかる奈津女橋へ戻ると、ちょうどそれらしきマイクロバスがやってきた。橋を渡って左折して乗船場へ下りていくかと思いきや、そのまま国道を直進し、バスの営業所も通過し、郵便局の先でようやく止まった。あわてて駆け寄る理由もないので、雨と対向車を気にしながら近づくと、蔵造りの建物の前でみんな降りている。そこは「ミュゼ・蔵」という、さっき私が路線バスを降りた信州新町美術館の分館で、無料だから見て行きなよと運転手さんに勧められたらしい。ほの暗い入口で記帳して中に入れば、なんと暖炉もある喫茶室。不意の若い団体客に、店番のおばさんが愛想をふりまいてくれる。喫茶スペースの隣には、地元の主婦が公民館で習うのであろう、フラワーアレンジメントの展示(写真右→)
 草花にあんまり興味が湧かない私は4〜5分ほどでその場を後にし(草花にさっぱり興味を示さない面々は初めから入ってこなかった)、2階の展示室へと上がれば、そこは「JIDA」とかいう団体のデザインミュージアムで、常設展示館の第1号だそうだ。なぜ信州新町に1号館なのかはどこにも説明がないが、下駄にカヌー、レコードプレイヤーにコーナーエアコン、自転車に空き缶つぶし器など。実用とデザインという一見相反する性質が有機的に結びついた品物を紹介するスペースで、なかなか見飽きない。JIDAが選んだ商品のカタログには、インテリアメーカーと提携して内装に木質材をふんだんに採用した、個室だけの寝台電車〔サンライズエクスプレス〕も載っている。

 さほど広くない館内をひととおり見終わって、まだ13:00 を過ぎたばかり。寒さしのぎも兼ねて「ミュゼ・蔵」に残る連中と離れて、また独りで新町の町へ歩み出る。土曜日だから郵便局には入れない。農協直営のスーパーマーケット「Aコープ」はあるけれど、昼食も夕食も自炊ではないし、あんまりスーパーをひやかす旅行者もない。……旅行者といっても、1泊2日の旅行で身軽を心がけた荷造りなので、携える荷物は黒無地のトートバッグ一つだけで、埼玉県内へ“取材”に出かけるときと全く変わらない。店の方も、私が店を出るときに何も買わないのを見て「よそ者かな?」と不審に思う程度で済むのだろうが、書店と違ってスーパーは落ち着かず、暇つぶしに長居するところではない。品揃えを観察して地域性を見いだすという楽しみもあろうが、まぁとにかく入らずにおく。

 小さな本屋さんでガイドブックや地図などを立ち読みして、お菓子屋さんで「新町せんべい」「ろうかく湖」(TM)を買い求める。包装紙が信州新町のイラストマップになっている「新町せんべい」は瓦せんべいのような小麦粉ベースの焼き菓子で、地元の風景を焼印で押したもの。「ろうかく湖」はかしぐるみが入った餡をそば粉入りのケーキ生地でくるんだもので、個包装の小さな包み紙には有島生馬画伯の命名エピソードと、「秋刀魚の詩」でおなじみの作家・佐藤春夫が詠んだ「琅鶴湖讃歌」も載っている。

“ 山と水 ここにして 美を競う 若葉かな ”





《※1》B線……一般的に、鉄道路線は東京に近いほうを起点とし、起点から終点へ向かうのを“下り”、逆に起点へ向かうのを“上り”と呼ぶのだが、都心を貫く地下鉄は上り/下りをつけにくい。そこで営団地下鉄では、その路線で最初に開業した部分から、路線が伸びていった方向を「A線」、その逆を「B線」と呼んでいる。例えば東西線は、高田馬場〜竹橋間が最初に開業し、そこから東へ大きく伸びていったので、西船橋方向を「A線」としている。東西線の九段下駅では、方向別に改札口が分かれているので、待ち合わせの際には単に「武道館に近い改札の前」と言ってはいけないのである。

《※2》並行するバス……石川県の県庁所在地・金沢から輪島までで比較してみる。
JR七尾線のと鉄道を乗り継いで、最速2時間12分特急サンダーバード7号急行のと恋路号普通列車)で運賃2,400円+特急料金940円+急行料金320円=3,560円
一方の北陸鉄道の特急バスは、金沢駅から輪島駅まで1時間54分で2,300円。座席は少ないし、渋滞のおそれもあるが、普通列車よりも安くて特急列車よりも速いのだから、たまらない。


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