早大鉄研“怒涛の95年組”第1回同窓会旅行 その3
 (2001年2月24日(土)〜25日(日)・1泊2日)
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【2001年2月25日(日)】
 木島線と飯山の雪中そば探し

 7:00 旅館の部屋は、晩のうちはファンヒーターがついていたので暖かだったが、寝る際には危ないからと最初に床に入った私が切っておいた。やがて、遅くまで飲み会に付き合っていた連中が少しずつ部屋へ入ってきたが、夢うつつに聞こえるのは「うーー、寒い〜」「暖房入ってないのかよ〜」。そんな声が、深夜から未明にかけて聞こえていたのだが、ふと気が付けば外は明るくなっていた。目が覚めたきっかけは、旅館の裏の温泉寺がつく、朝のお勤めの鐘だった。といっても窓ガラスがビリビリ震えるほどの大音声ではなく、おとなしくしていれば遠くに聞こえる程度。その鐘の音以外は何も聞こえないので、もしやと思ってカーテンを薄く開けたら、大粒の雪がバサバサ降っていた。この雪が昨日の信州新町で降っていれば、などと小さく悔しがりながらファンヒーターのスイッチを入れる。寝間着の浴衣を整えて丹前を羽織って、バスタオルを抱えて部屋を出る。前夜はバタバタして旅館のお風呂しか入れなかったので、寝覚めは外湯で朝風呂ときめ込みたい。
 渋温泉には9つの外湯があり、旅館宿泊客は無料で利用できる(フロントで外湯9ヶ所共通のカギを借りるシステム)。巡浴てぬぐい(300円)を持って、外湯で御朱印を集めるという楽しみもあるが、源泉の温度が高い渋温泉は短時間にハシゴすると湯疲れするので、今回は旅館のすぐ近くで済ませよう。フロントでカギと傘を借り、寒いので下駄ではなくサンダルをつっかけて表へ出る。まずは旅館に最も近い六番「目洗の湯」。いったん宿へ戻って、後から起きた2名を伴って、七番「七操の湯」へ。さほど広くない洗い場には石鹸もシャンプーもなく、かえって清潔である。湯の中に褐色の藻のような湯の花がおどる「七操の湯」は、鉄分を多く含有するという効能書きで「我々にはうってつけだなぁ」「いや私は非鐵ですからほどほどに」「またまたぁキミの“非鐵”は“非常に鐵”でしょ」などと朝から軽口が飛び交う。我々と入れ替わりに、スキーに来たのか同年代くらいの男性が3人入ってきて、狭い脱衣場が一時的に混雑するのもご愛嬌。

チェックアウト直前の集合写真  8:00 前夜の宴会場だった大広間に、他の宿泊客も一堂に集まっての朝食。しかし、外湯で朝湯した3名とギリギリに起きてきた若干名しか朝食のお膳についていない。ホテルによくあるバイキング形式や朝食券方式なら、朝に弱い人がいても無駄は少ないのだが、今回はまともな旅館の朝食だから一人ずつお膳が用意され、しかも第一陣の数名だけ座った時点で、仲居さんは全員分のお鍋に手際よく点火してしまった(朝からお鍋か? と面食らっていたら、湯豆腐だった)。我々としては、明け方まで飲み倒す連中がいるのは毎度のことで、朝食どころかチェックアウト直前まで寝ている状況もさほど驚かずに受け止めてしまうのだが、やはり一般的には“まとも”とは言えない状況である。仲居さんは部屋へ何べんも電話をかけたり、わざわざ1階の大広間から3階の部屋まで上がって様子を見に行ったりして、やたら気をもんでいる。その熱意に負けて、一人・また一人、おや幹事のN君もようやく起きたのね、と続々さえない顔で大広間に入って来たが、とうとう2名が朝食を断念した。仲居さんとしては全員が朝食に揃わないことに少なからず落胆(失望)しているようだったが、我々は13分の11という高確率で朝食を取っていることの方に驚いている。ちなみに私の隣で食べたT君(バス会社勤務)は、私が朝食で3杯おかわりしたことを一番驚いていたらしい。

渋 和合橋バス停前  9:30 チェックアウト。宿の送迎バスは朝9時に出てしまったので、あとは路線バスを待つことになる。湯田中からの長電は10:22発(特急 長野行)で、みんなは志賀高原の蓮池から下りてくる9:48発のバスに乗るが、10:03頃にすぐ近くの上林温泉から来るバスでも間に合うようなので、それまで小松屋旅館直営のみやげ物店でお土産を買い込むことに。……ふとお店の片隅を見ると、NHKがテレビドラマのロケをご当地で行った、と張り紙がしてある。その放送日は3月3日、なんと今度の土曜である。「歌恋温泉へようこそ」とかいうタイトルで、おそらく渋温泉の名は劇中には出ないのだろうが、なんとなく気になりながら店を離れる。朝からの雪はまだ降り続いており、自宅から持っているビニール傘をさして、バス停へ向かう。

 10:05 バス停[渋 和合橋]のバス待合所(といっても3人座ればいっぱいのスペース)の軒下で待てば、和合橋をはさんだ向こうの丘から、バスが急坂をゆるゆる下りてくる。運賃表は白いボール紙に手書きで、紙の端には1枚ずつ異なる切れ込みが入っていて、運賃区間が変われば紙押さえがガチャンと動いてページが1枚だけめくられる。私鉄の駅にある、パタパタと変わる案内板ソラリーという商品名があるらしい)と、基本的な仕組みは同じであろう。
 このバスは「上林温泉〜渋温泉〜湯田中駅〜中野駅前」という経路で信州中野まで走るので、昨晩信州中野〜湯田中間を電車に乗った私は、このまま信州中野駅までバスで乗り通してもいいのだが、タイヤチェーンを装着しているので、乗り心地はゴリゴリとあまりよろしくない。名残惜しくも、160円を払ってバス停[湯田中駅]で下車。

 10:22 特急の長野行が、まず後ろ向きに1両分だけ動き、一息置いてやっと前向きに動き出した(このからくりは、昨夕の湯田中到着の段を参照されたし)。本日は、廃止間近と噂される長野電鉄“木島線”(正しくは長電河東線 信州中野〜木島間)を乗ってみるのがメインイベントである。特急列車だが、昨夕書いたとおり湯田中〜信州中野間は各駅に停まり、特急料金(100円)も不要である。10:37 [信州中野]に到着。一行はそのまま長野へ出て、その大部分はJR篠ノ井線に乗り継いで松本へタイ風カリーを食いに行くのだそうだ。ここで木島行へ乗り換えるのは私と同級で保険会社に勤めるA君と、2級下で今春卒業の紀州出身M君と、私の3名。今度の木島行は11:00発で、ホームにも一応待合室はあるが、自販機もある改札外の待合室にいったん出て待つことにする。中野市の空は晴れつつあるが、風花が舞っている。

 11:00 [信州中野]1番ホームから、2両編成のワンマン列車・木島行に乗り込む。前述の通り、数年前まで営団地下鉄日比谷線で走っていた車両なので、乗り込んだときの新鮮味は全く感じられないが、あえて言えば営団地下鉄に比べて中吊り広告が圧倒的に少ないことくらいである。発車時点の乗客は、我々3人と、別の鉄道愛好家らしき若年男性3人、そして地元の十数人。日曜のお昼前に信州中野から木島方面へ向かう需要は、まぁこんなもんであろう。信州中野を出ると終点木島も含めて全て無人駅なので、ドアは運転台に近い最前部しか開かない。我々は(よその鉄道愛好家も)2両編成の2両目に陣取ったので、駅に着くたびに寒い思いをしなくて済む。沿線の田畑は一面の銀世界で、やがて進行方向左側に千曲川(信濃川)が寄り添ってくる。しかし元地下鉄車両なので、ドアの窓は小さく、戸袋窓がないので、車窓を広く楽しむことができないのは残念。

 11:20 対向列車とすれ違うことなく、[木島]到着。日中は1編成が信州中野〜木島間を単純往復しているだけなのだ。無人駅の駅舎内に窓口があるが、これは信州バスの案内窓口で、ここから野沢温泉・飯山・斑尾高原方面へバスが出ているのだが、木島を乗り換え拠点として長電から信州バスへ乗り継ぐ観光客がいるかどうかは疑問であり、現実にそんな観光客がいないから木島線の廃止が取りざたされているのであろう。それでもバスの車庫がある駅前広場は、ショベルカーが雪を押しのけている真っ最中。
 ここから、千曲川をはさんで飯山市街までは歩いても20〜30分程度とのこと、雪さえなければ迷わず歩き出すところだが、いかんせん大雪である。長野県北部の千曲川流域は日本有数の豪雪地帯なので、20〜30cm程度は大雪の範疇に決して入らないのだろうが、地元の人々があまり出歩かない雪の中を旅の者が20分以上もうろうろするのは得策ではない。ところが飯山駅へ向かうバスも30分後まで来ないので致し方なく、またタクシーのお世話になる。客待ちのタクシーはいないので、駅前の飯山観光タクシーの営業所へ申し出て、飯山駅前まで乗車。女性の運転手さんに「温泉ですか?」と話しかけられ、木島線に乗りに来たと答える度胸がない我々は「ええ、まぁ」と気のない返事。後から思えば、ここで開き直って木島線廃止に対する地元の反応などを根掘り葉掘り聞き出せばよかった、とちょっぴり悔やんでいる。

 11:40頃 JR[飯山]駅に到着。路線バスなら170円のところを、タクシーは冬期割増(2割増)で約1,300円、3人の割り勘で400円強であった。ここから保険屋A君はJR飯山線の下り列車で十日町〜<ほくほく線>〜越後湯沢〜<上越線・高崎線>赤羽……と帰るべく、11:50発の戸狩野沢温泉行に乗車。一方の紀州出身M君は長野へ出て、一行の後を追って松本のタイ風カリー屋へ向かうとのこと。長野行の上り列車は13:01まで待たされるのだが、駅前交差点の一角にあるバス乗り場へ見に行けば、長野駅東口行の急行バスが12:10発で好都合。薄暗い無人の待合室にはスイッチが入っていないファンヒーターがあり、少々無用心ではないか。その奥にはトイレもあるが、私は間に合っているので入ってみなかった。12:03頃、野沢温泉から観光型の大きなバスが入ってきて、薄着の乗客がぱらぱら降りてきた。暖かい車内で発車を待てばよいのにと思ったが、彼らは無人の薄暗い待合室へ向かっていく。ここでトイレ休憩も兼ねているようである。

飯山駅の近くのそば屋  長野駅行き急行バスを見送り、ここからまた一人旅である。飯山線上り列車の発車時刻まで40分以上あり、今日こそ昼食にそばを食おうと思い立つ。曲がりなりにも市と名乗る飯山の駅前で、そば屋の一軒くらいないはずがないと固く信じて、駅を背に通りを歩き始めたのだが、……見当たらない。歩道の雪についた足跡は2人か3人分で、ブーツではなくスニーカーを履く私は「エライ決心をしてしまったものだ」と早くも後悔し始めながら、黙々と雪を踏みしめる。駅前から2つ目の交差点を左折すると、賑やかとはいえないが商店街の真ん中。鉄道に並行した道筋はおそらくナントカ街道のわき道であろう、と一層の期待を抱いて歩いていくが、ラーメン屋はあっても日本そばの店はない。中央分離帯がある道へ左折すると、パブやスナックが集中する区域を横切るが、寿司屋はあってもそば屋がない。そろそろ線路にぶつかるかと思われるあたりで道も突き当たり、みたび左折すると、聞いたこともないスーパーマーケットの脇へ出た。郊外型のショッピングセンターなら食堂やレストランの二つや三つはざらにあるが、市街地のスーパーである割りにたこ焼きの屋台もない。ないない尽くしに絶望感を募らせながらふと前方を見やれば、さっき歩き始めた駅前通りに行き着いてしまう。もはやこれまでかと白旗を揚げかけた瞬間、ようやく「そば処 を発見した。時刻にして12:27。雪の中を歩きどおしだったが、不思議にもかけそばや天ぷらそばを食べたいとは思わず、「地粉三彩そば」とかいうようなメニューを注文(1,150円/品名はうろ覚え)。一人前のそばを3つの小椀に盛り、一つはとろろがかかり、一つは山菜が載り、もう一つは海老としめじの天ぷらが添えられた。歯ごたえも香りも悪くなく、しめくくりのそば湯まで美味しくいただいた。腹を満たして店を出てみれば、飯山駅まではせいぜい徒歩3分だった。バス待合室がある駅前交差点よりも手前で左に入ったところにあり、そば屋探しをバス乗り場から遠くへ向かって始めたのが誤算だった。

 駅へ戻れば、上下とも13:00前後に発車するので列車待ちの客が多く集まっていた。私は鴻巣〜長野の往復乗車券のかえり券を持っているので、窓口で「飯山→長野→鴻巣」へ乗車変更してもらおうかと思ったが、手持ちの時刻表でざっと概算してみると、「飯山→鴻巣」(3,570円)へ乗車変更するよりも、「飯山〜長野」(570円)+「長野〜鴻巣」(2,940円)と分割する方が若干安くなるようである。何より往復きっぷの“ゆき券”を使った後に“かえり券”だけ乗車変更できるかどうか、よくわからなかったので、手っ取り早くタッチパネル券売機で長野まで買ってしまった。そういえば、さっきM君が乗っていった急行バスは、飯山駅前から長野駅前まで600円で、所要時間45〜50分。列車とあまり変わらない。さらに、そのバスは木島駅も経由し、木島駅〜長野駅は約60分で700円。所要時間はほぼ同じで、運賃はなんと長電の4割引である。

ホーム1本だけの飯山駅  13:01 2両編成の長野行きディーゼルカーが発車。飯山で乗り込む人は結構多く、スキー帰りの人と長野へ出かける地元の人が半々か。車内のボックスシートは片側が4人がけ、もう片方は2人がけとなっており、中央の通路が広く取られている。ローカル線は朝夕の通学ラッシュが結構激しく、学生諸君はドアのそばから車両中央部へなかなか入らないので、こういう通路が広い構造はそれなりの効果を上げているようである。

 13:48 [長野]に到着。長野盆地は郊外の田畑に雪が残っている程度で、空模様も明るい曇り空で、注意して見れば風花が一つ二つ舞い下りる程度。駅前へ出たところで、飯山市内までフル活用していたビニール傘を飯山線の車内に忘れてきたことに気付いた。座席の背もたれにある手すりへさげたままである。でもこの後は雪が降らない埼玉へ帰るだけなので、すんなりあきらめる。自宅を出るときにビニール傘を選んだ思惑が当たってしまったのは、喜ぶべきか悔やむべきか。


 さて、時刻は午後2時になるかならないか。今から帰るにしても、長野新幹線が速いおかげで、日が沈まないうちに家に着いてしまう。
 さりとて、上田や軽井沢で途中下車して遊ぶつもりは毛頭ないし、
 3年前の初詣で訪れた善光寺へ再びお参りする信仰心も湧き上がらない。
 そばはさっき食ったばかりだから、食欲はまだ回復しない。
 駅ビルのみやげ物コーナーも、信州新町と渋温泉でそこそこ買い込んだから足が向かない。
 駅前のビルの1階に大きそうな本屋さんがあるが、日曜の昼下がりに立ち読みする気も生じない。
 そして長野駅前は、昨日の夕方述べたとおり、東京と変わり映えしない街並みで、食指が動かない。
……またもナイナイ尽くしになってしまったが、長野駅前に再び立った私は、ほどよくカントリーでローカルな香りを感じることができず、待ち歩きの好奇心が萎えてしまったのである。もはや長野駅前に何の未練もなくなってしまった私は、早々に上り〔あさま〕に乗り込むことにした。

 どんよりした頭を晴らせぬまま、JR長野駅前でモタモタしているうちに、熊谷に停まる〔あさま520号〕は14:18に発車してしまった。まあいいや、一つ手前の高崎で在来線に乗り換えれば特急料金も安く上がるだろう、と思っていたら、なんと長野からの特急料金が高崎・熊谷・大宮の各駅まで同額(自由席=2,520円)ではないか。券売機の上に掲げられた特急料金は自由席にしては高いんでないの、指定席でしょ? などとトッチラカッタつっこみを独りで想像しながら、さっさと自動改札をくぐり、[長野]14:30発の臨時列車〔あさま562号〕に乗り込んだ。

 新幹線は一番前の車両に乗っても、前方の景色を見ることはできないが、とにかく1号車(自由席/禁煙)へ。午後の日差しがささない進行左側の3人がけの窓際に座ったが、着席率は半分以下。臨時列車だから空いているのかなと思いながら、昼過ぎまで雪の中を歩き回ってすっかり濡れてしまった靴を脱ぎ、中に新聞紙を丸めて詰める。靴下を履き替えて、足元に残りの新聞紙を敷いて、下車するまで靴を脱いでささやかなくつろぎのひと時。ところが15:04[軽井沢]で大いに乗り込み、8割以上の乗車率になった。私の右隣2席も埋まってしまった。靴は雪で濡れたのでニオイを放たないが、軽井沢発車の16分後に私が下車するので、いっぺんに狭くなった空間で靴を履き、新聞紙を片付け、荷物をまとめなければならない。にわかの隣人はさぞ挙動不審に思ったろうが、1分を争う当方はそれどころではなかったのである。

 15:20 [高崎]で下車。かつて本庄市内の高校に通っていた頃は、しばしば群馬県内へ足を伸ばしていたものだが、今となっては高崎で途中下車たくなるスポットを知らないし、長野で入らなかった駅ビルを高崎でひやかす気遣いはさらさらない。ここはごく淡白に、15:30 発の高崎線快速〔アーバン〕へ乗り継ぐのみである。途中、本庄で途中下車して懐かしの町をうろつこうかとも思ったが、すでに日は西に傾き、町歩きを始める時間ではないので、3秒であきらめた。

 16:21 [鴻巣]で下車。日常と正反対の上り列車で、しかもまだ日が沈まぬうちに駅に降り立ってしまうという点では“非日常”なのだが、まったくもって無気力な終盤を引きずって、東雲史上最もローテンションな旅の終わりである。せめてもの景気付けに、携帯ラジオでTBS「伊集院光・日曜日の秘密基地」を聴きながら、徒歩で家路についた。



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