東雲のGW北紀行・十勝後志縦横無尽
 (2002年5月3日〜6日・3泊4日)
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【5月3日(金)】その2
 十勝の味覚と幻のアーチ橋を堪能

道の駅「ぴあ21しほろ」
  • 14:45 音更町の北隣は、士幌町(しほろちょう)。士幌市街の入口に道の駅「ピア21しほろ」(写真右→)があり、ここで小休止。帯広空港に着いた頃は青空だったのに、士幌に止まったら曇天でうすら寒くなってきた。寒くなってきたのにもかかわらず、軽食売店で「いちごソフト」を発見。ミルク味やミックスもあったのだが、ここは「いちご果汁25%」とうたういちごソフトを迷わず購入。……写真がなくて申し訳ないのだが、目の当たりにした第一印象は、いちご色というよりもスイカ色。なるほど、いちごミルクはピンクだが、ミルクをかける前は“紅”というよりも“緋”に近い。よく見れば、いちごの果実の表面にある、あの“つぶつぶ”も混じっている。いよいよ一口食べてみれば、間違いなくいちごの味と香りがする。いや、「香りがする」なんて生易しいものではない。スーパーやコンビニなどで売っている、ピンク色のラクトアイス“ストロベリー味”をはるかにしのぐ、いちごの充実感に直面する。ただ甘いだけではない、いちごならではの酸味もほのかに漂い、それをソフトクリームとしてのまろやかさが包み込んでいる。当然、甘さは控えめである。
      この「いちごソフト」には、参った。今回の旅の間、あと何回かソフトクリームやアイスを食べる機会はあろうが、ここまで絶賛させるソフトクリームは、今後しばらく出てこないと思われる。ただ「いちごソフト」は、ソフトクリームではなく いちごが得点を稼いでいるという点で、「ソフトクリームとしては邪道だ」とお思いの向きもあるかもしれない。
      いちごソフトを堪能したら、また車に戻る。士幌町から上士幌町へ。松山千春と鈴木宗男の故郷・足寄へ向かう国道241号線に別れを告げ、当方は上士幌市街から国道273号線へ。さっきまで比較的多かった(と言っても渋滞が起きるほどではないが)は、どうやら足寄方面へ行ってしまったようで、この車の前後の見渡す限りに他の車がいなくなった。

  • 15:30 ひたすらまっすぐでほぼ平坦だった道に、だんだんアップダウンやカーブが加わり、トンネルをいくつかくぐると、いよいよ糠平温泉である。山ひだに沿って国道273号線がS字形にカーブしている両側に、10軒ぐらいホテルやら旅館やら民宿やらコテージやらが集まっている。温泉街全体が斜面になっているわけではないが、温泉“街”というよりも、ちょいと豪勢な建物が建っているけど“集落”という表現の方がしっくり来る。助手席でうつらうつらしていたT君が「今夜の宿『山湖荘』は国道に面しているからすぐ分かるはず、と電話で宿の人が言っていた」と言っているのだが、温泉街の入口にさしかかってから程よく速度を落とし、左右をちらちら見回しながら『山湖荘』の文字を探したのだが、見つからないまま、あっというまに温泉街を通り抜けてしまった。いけねぇっ。温泉街の外れの、大型バス臨時駐車場みたいなスペースで転回して、今度は温泉街の奥から坂を下りながら、つまり温泉街を見下ろしながらゆるゆると車を走らせる。……ようやく見つかった。
      温泉街の入口から見て、国道の右側。他の旅館やホテルに比べて、なんとも小ぢんまりとしたたたずまい。『温泉民宿 山湖荘』……あ、旅館じゃなくて民宿なのね。宿の方々には申し訳ないが、宿の建物を一見した第一印象は「……ん、ハズレ、かな?」であった。同じ建物の一角、宿の玄関の隣に「ごまそば 山湖」というのがある。夕食か朝食にそばでも出るのかしら、などと思いながら宿の裏に車を止め、荷物を持ってチェックイン。玄関の中は一般の民家と変わらない狭さで、何とも民宿らしい。通された部屋は2階の12畳くらいの和室。北国らしく、大きなファンヒーターが設置され、配管も固定されている。十勝・釧路など道東はテレビ北海道(テレビ東京系列)が入らないはずだが、ケーブルテレビがあるらしく、山あいでもそれなりに鮮明に映っている。

  • 15:45 荷物を部屋へ運び込んだら、カメラなどを持って再び車に乗り込む。当初は明日(4日)に予定していた 士幌線の廃線跡探索だが、明日・4日は朝から雨模様だというので、今日中に済ませることにしたのだ。

      帯広〜上士幌〜糠平〜十勝三股(78.3km)を結んでいた士幌線は、十勝北部の開発と木材搬出を目的に、昭和14(1939)年までに全通した。台風が通過した後などは、流木を運び出すために特に賑わったそうだが、昭和30年代に国道が三股まで開通すると、製材所が上士幌に移転したため、末端部の利用客が激減。特に糠平〜十勝三股間は、昭和31年の糠平ダム完成に伴い線路を付け替えたばかりなのに、昭和52(1977)年には1日の利用客数が6人という壮絶な状況に陥ったため、将来の鉄路復活の日のためにレールを撤去しない等の条件付きで、翌年から全国で初めて代行バスへ転換された。しかし利用客数が上向くことはなく、第2次特定地方交通線《※5》に指定され、国鉄分割民営化直前の昭和62(1987)年3月22日までで廃止、23日から全線バス転換されたのである。
    タウシュベツ橋梁
      今回この地を訪れたのは、同行するT君のたっての希望によるもので、糠平ダムが完成する前の線路を、特にタウシュベツ川橋梁(←写真左)を写真に撮りたいという。真冬は雪と氷に覆われ、夏から秋にはダムが満水になり水没するため、気候の面も含めてアーチ橋の全貌を望むのに適した時期はゴールデンウィークしかないのだそうだ。学生時代に廃線跡探索の魅力に取り付かれて以来、何回も渡道していながら見ることがかなわなかった11連コンクリートアーチ橋を、ようやく目の当たりにするチャンスがやってきたのである。
      糠平の温泉街から国道で北上すること数分、未舗装の林道へ分け入っていく。自動車同士がすれ違うこともままならない砂利道で、砂利が跳ね上がって床下にカツンカツンとぶつかる音がする。運転するT君曰く「自分の車だったらこんな道を走りたくない」。それでも目的地に着くまでに4〜5台となんとかしてすれ違ったのは、ゴールデンウィークのせいか。廃線跡探索ブームに地元が食いついたのかどうか、上士幌町観光協会が「ひがし大雪アーチ橋ガイドマップ」というリーフレットを出したり、ひがし大雪自然ガイドセンターが自然体験の一環としてアーチ橋を訪ねるツアーを組んだり、町教育委員会の中に「ひがし大雪アーチ橋友の会」を設けて保全のための支援を呼びかけたり、と観光資源化に力を入れている。
    タウシュベツ橋梁
      対向車とのすれ違いにヒヤヒヤしながら、国道から15分ぐらい森の中を走っただろうか。前方に森が途切れるのが見え、その手前に2台ばかり車が止まっている。私たちもここで車を降り、その先の森の途切れるところまで歩いていく。森から抜け出た前方には、コンクリートの橋が沢をまたいで向こうへ伸びている。山奥で鉄橋を作るための鉄骨を運ぶよりも、現地で取れる砂や砂利を利用できるので、鉄筋コンクリート製となった11連のアーチ橋(長さ130m)は、毎年ダム満水時に水没するためか、表面が荒れてすっかりボロボロになっている。さっき宿のご主人に聞いたら、「向こうから2つ目か3つ目のアーチは、下から見ると空が透けて見えるくらいですから、上を歩くのはやめた方がいいかもしれません」とのこと。ふつうなら緑濃き渓谷をまたぐ橋という絵柄が思い浮かぶのだが、ここは橋の前後も下の斜面もダムの底になるため草木が一切生えておらず、角が取れてまるくなった岩石がゴロゴロするばかり。古代ローマの水道橋の遺跡(写真右→)みたいな雰囲気である。
      アーチ橋を脇から見たくて、水のない湖底へ斜面を下りようにも、丸い石が歩きづらい。皆さんも、林間学校か何かで山あいの川に裸足で入って、川底の丸い石がぬるぬるぐらぐらして歩きづらいという経験があるかと思うが、それに近い状況である。水がないので苔のぬるぬるはないが、斜面になっているのでかえって歩きづらい。湖底の平らな部分に下り立ったら丸い石はなくなり、一面の砂と泥、そしてところどころに木の切り株が顔をのぞかせる。

      その場に20分くらいいただろうか。大雪山からの風がひときわ冷たく感じられてきた。北海道遺産にも指定されている「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」を見学したのと、ダム湖の湖底に降り立ったのと、いっぺんに2つも貴重な体験をして、タウシュベツ橋梁を後にする。国道へ戻る林道の途中に、線路敷と林道が交差する“踏切”があるよ、と助手席から運転席へ伝えると、急にT君は色めき立ち、そのそばに車を止めてしきりにシャッターを切る。“踏切”といっても、警報機も遮断機もないし、林道から線路敷へ入れないよう厳重な柵が立っているだけで、通りかかっただけではただの通行止めにしか思えないのだが、よく考えれば北海道の山奥の森の中で砂利道同士の交差点があるというのは、大いに不思議である。T君が持参した廃線跡の本に、この“踏切跡”が載っていなかったことが、“掘り出し物”感を高めたのかもしれない。

  • 17:00 砂利敷きの林道から幌加駅跡 国道273号線へ戻り、ちょっと走ると「北海道開発局 幌加除雪ステーション」がある。ここから北、層雲峡・上川方面の手前にある三国峠は冬季通行止めにならないので、その一帯を除雪する作業車などがここに控えている。2階建ての建物の前は駐車場が広くとられ、タイヤチェーン着脱場も兼ねているのだろうか。除雪シーズンが過ぎて人の気配がない除雪ステーションに車を止め、すぐとなりの幌加駅跡(←写真左)を見に行く。国道からそれてさらに山へ入ったところに幌加温泉とやらがあるらしいが、今の“幌加駅前”に人家は見当たらない。「未来の鉄路復活のために」駅構内にはレールもホームも残っているが、分岐器はすっかりさび付いて動かない。昭和53年から列車が来なくなったプラットホームには木が生えて、手入れしなければ進入する列車に枝がぶつかってしまう。そして駅構内のそこここに鹿のフンが落ちている。野生の鹿が駅跡や廃線跡をうろついているのかと思いながらふと糠平方向を見やれば、200mくらい先に鹿が5〜6頭、怪訝そうにこちらを見ていた。

  • 17:15 幌加駅跡を後にし、さらに北上を続ける。糠平の手前もそうだが、このあたりは音更川の谷筋に両側から山が迫り、国道273号線と士幌線跡が近接している。音更川へ流れ込む支流の一つ一つに線路跡のアーチ橋が残っており、国道を走る車からもチラチラ見える。ちょいと車を止めて近づきたいのだが、非常駐車帯も歩道もないし、なにしろ坂もカーブもゆるいし舗装の表面もいいから車がずいぶん飛ばすので、路上駐車は危険である。宿の帳場に置いてあった「ひがし大雪アーチ橋ガイドマップ」には、ご丁寧に「駐車スペース」も記載されており、廃線跡を部分的に歩くのに役立つ。
      幌加駅から約7km、左右両側から山が迫っていたのがパーッと開けて、盆地というか高原のようになっている。士幌線の終点:三股の集落がある。かつては木材切り出しの拠点として、製材所もあったため、昭和30年代には800人以上の人口を抱えていたというが、現在では2世帯だけ。糠平〜十勝三股バス転換直後は1日4往復だったバスも、現在は[上り]十勝三股7:13発→糠平7:32着 [下り]糠平16:56→十勝三股17:15着の1往復だけ。十勝三股駅前の喫茶店のご主人が列車代行のマイクロバスを運転しているらしいが、朝糠平に着いてから夕方まで、何をしているんだろう。糠平に別の仕事があるのか、それともいちいち回送しているのか。車で19分の道のりだし、三股で喫茶店をやっているのなら、いったん三股へ戻るのかもしれない。……お店に寄って聞いてくればよかったな。

  • 17:30 三股にはホームも線路も残っておらず、どうやらあの一角は駅の建物が建っていた跡らしい、ということだけを確認しながらそそくさと車に戻り、やって来た道を戻る。すでに太陽は山の向こうに入り、風が冷たくなってきた。帰り道の幌加付近でまた鹿を見かけながら、20分ほど走って糠平温泉街へ。宿の裏の駐車場は、車が増えていた。
      夕食前に一風呂浴びようと2階から降りていく。1階奥にある「洞窟風呂入口」は、下り階段の段が始まる前から壁が岩肌っぽい。手のひらで軽く叩いてみたら、冷たいペシッという音ではなく、ポコン〜という期待外れな音が。プラスチック製のハリボテのようで、ちょいと身構えてしまう。それでも岩肌っぽい中の階段を下りていくと、男女の暖簾が分かれている。1階から地下へ下りるのは、宿が斜面に立っていて、風呂場からちょいと湖が見える地形・構造になっているから、と勝手に想像していたのだが、浴室は薄暗く、窓がない。脱衣所や浴室内の壁は丸い小石を混ぜたコンクリートが塗ってあるが、湯船は大きな岩を組み合わせた造り。まぁ、露天風呂がもてはやされがちな昨今にあって、逆に「洞窟風呂」という閉鎖的な空間で落ち着くというのも、面白いといえば面白い。

  • 19:00 1階の広間で夕食。テーブルというか食卓には囲炉裏が切ってあって、炭火がおこっている。食卓に囲炉裏とは面白い趣向なのだが、おかげでおかずが並ぶスペースの奥行きが狭く、小鉢が横一列に並んでいるという珍妙な景色である。それでも食卓に次々と運ばれてくる料理の数々は、山の幸に工夫を凝らしたものばかりで、そのバラエティが楽しい。あんまりうれしいので、その品々を書き出してみる。
    たらの芽のおひたし
    うどの三杯酢カニ肉和え
    行者にんにく
    お新香
    川魚の塩焼き
    ニジマスの刺身
    かぼちゃもち入り福袋煮・ふき
    鹿肉の炭火焼(とうきび・玉ねぎ・ししとう)
    温泉湯豆腐
    ニジマスのアラ汁
    わかさぎとビートの天ぷら(抹茶塩)
      そば屋を併設しているせいもあるのだろう、うどを湯がいたものにカニ肉のほぐし身が添えてある以外は、とことん山の幸にこだわっている。鮭の刺身かと思ったら糠平湖で釣れたニジマスだという。特に面白いのは「ビートの天ぷら」。ビートは別名を甜菜(てんさい)または砂糖大根と言い、その名のとおり砂糖の原材料として十勝地方でも広く栽培されている。大根と言うよりカブのような見た目だが、食感はかなり高密度でかたく、カブよりも控えめな甘さである。カブを天ぷらにして食べたことがないので、厳密には比べられないのだが、北海道の味覚としてはなかなかのアイディアである。

  • 20:00 食事をしながら瓶ビールを3本ばかり飲んでいたのだが、部屋へ戻って飲み直そうということに。何かつまみになる一品料理はできますか、とご主人に尋ねると「お料理はもうできないんですが、“温泉卵”なら」とのお返事。なり、へ出かける。5月とはいえ夜になってすっかり冷え込んだので、ファンヒーターのスイッチを入れると、宿の隣の土産物屋食料品店でビールや乾き物を買い込んでT君が帰ってきた。そのついでに帳場へ頼んだのだろう、ほどなくご主人が“温泉卵”を4つ持って来た。“温泉卵”なのに小鉢もだし汁もないな、と思いながら慎重に殻を割ったら、白身がちゃんと固まっている。食塩をつけて一口かじると、おいしいのだが、黄身が半熟である。……これは“温泉卵”ではなく“半熟卵”ではないか。T君は私以上に失望したらしいが。
      T君の今回の旅のメインイベントは、日程前倒しと言う変更はあったものの、つつがなく終了。明日の行程で決まっているのは、出発地がここ糠平温泉であることと、私が新得19:46発の特急〔スーパーとかち12号〕に乗って札幌へ向かうことだけ。糠平から新得までの間は、どこをどう廻ろうか、さっぱり決まっていない。今日は豚を食ったから明日は牛を食いたいとか、温泉も入ろうとか、「愛国→幸福」のきっぷで有名になった両駅を見に行こうとか、あれこれ言いながら500ml缶を2本空にして、布団に入りながらテレビを見たり見なかったりして、結局23時には消灯、就寝してしまった。



    《※5》(第2次)特定地方交通線……昭和55(1980)年に交付された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)に基づき、鉄道経営の採算がとれない地方交通線の廃止を進めるために、旅客・貨物の輸送数量に一定の数値基準を設定。1982年までに廃止すべき40路線を第1次線、1985年までに廃止すべき31路線を第2次線として、1981年に閣議決定された。その後に追加された12路線が第3次線も含めて、第3セクター鉄道や路線バスなどへ、平成2(1990)年までに廃止転換が完了した。


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