橋と天羽と音頭と私・そんな梅雨明け前の日帰り旅
 (2003年7月19日・日帰り)
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【その3】
 憧れの学び舎と憩えない丘

天羽高校前交差点  
  • 12:50 前方にローソンの看板と、緑色のドームを屋上に乗せた建物が見えてきた。交差点の信号機には「天羽高校前」と大きな地名標識がついている。上総湊でコンビニエンスストアを目撃したのは、高速バスを降りたところにあるセブンイレブン以来、2軒目。やはり高校の前は一大需要地なのだろうか。ローソンの店名は「富津数馬店」で、残念ながら「天羽」がついていない。
      ここへきて、俄然テンションが上がるどろっぷ氏。彼の中での「本日のメインイベント」が、この千葉県立天羽高等学校だそうである。 天羽高校正門前 『Lの季節』の舞台となっている高校が、この天羽高校と似ているのかどうか、私には知る由もないが、数年来の念願を成就できたことで、どろっぷ氏の表情は晴れやかである(が、写真右→は少々細工してあるので、晴れやかな表情かどうかわからない)。県立高校も夏休みなのだろう、昼休みの時間帯ながら、校門前に生徒らしき人影はない。校内を探訪してみたい気もするが、知り合いがいるわけでもなく、文化祭などの公開日でもないから、我々「関係者以外」は立ち入らずじまいである。
    天羽高校前バス停
      天羽高校正門の脇には、天羽日東バスのバス停が。地図などの資料ではbusstop天羽高校前」と記されているが、現地のバス停ポールには「天高前」(←写真左)と略して書いてある。高校前を経由して上総湊駅と戸面原ダム・金束を結ぶバスは1日8往復、通学に使えそうな時間帯は2〜3本あるが、大部分の生徒は徒歩や自転車で来るのかもしれない。国道465号線に面した校舎の壁には、屋上から垂れ幕が下がっている。 全国総合体育大会出場 新体操部」「 関東大会出場 ……」 そういえば上総湊駅の駅舎入口にも、男子新体操部の全国大会出場を祝う横断幕が掲げられていたっけ。

     
  • 13:00 事前に調べた限りでは、このまま国道465号線を東に進んでも、5km以上先の天羽東中学校以外に「天羽スポット」はなさそうである。ぼちぼち戻ろうとするが、今来た道をそのまま戻るのも芸がないので、地図上では上総湊駅への近道になりそうなルートをたどってみることにする。新たなルートで「天羽スポット」が見つかれば、それはそれでラッキーということだ。
      天羽高校前の丁字路に突き当たる道を、北へ上がっていく。川沿いの国道から離れて、さっきまで左に見ていたがけの裏を通るのだから、近道とはいえ一山越えることになりそう。車道から明確に分離された歩道はなく、一行は車道の右端をぞろぞろ歩く。雑木林とカーブで見通しが利かず、そのわりにトラックが多く走ってくる。左にカーブを切りながら、道の左側の竹やぶには「天羽高生は立入り禁止」という立て看板を発見。高校生が藪の中で、なんぞ悪さでもしたのだろうか。

      しーさる氏が、川島令三氏《※4》の出たばかりの新刊を早速読破したんだそうで、その内容を逐一そらんじて聞かせてくれるのだが、近頃そういう本から遠ざかっている私には、心の準備が出来ていないので残念ながら“右から左”である。そんなとき、左手に上る坂道の入口に「←憩いの丘」という看板が立っている。そういえば、まだどら焼きを食べる機会と場所を得ていない。天羽と名がつくスポットではないが、何だか面白そうなので、丘の上で憩いながらどら焼きを食おうかということで、私が先陣を切って坂を登っていく。 憩いの丘 ところが、民家の脇を通り抜けながら登っていく道は、山上まで自動車が通れるように、階段ではなく坂になっているので思いのほかきつい。ようやく登りきったと思ったら、なんと山上は雑木林に囲まれた畑になっていて、軽トラックで乗りつけたおばちゃんが野良仕事にいそしんでいる。畑のふちのあぜ道をわいわい言いながら、眺めが開ける方向へ歩いていく男5人を、畑のおばちゃんは見ないふり。そして我々はおばちゃんも軽トラもおかまいなしで、ようやく「憩いの丘 2001年完成という立て札にたどり着いた。クルマで登ってくるならともかく、あんな急坂を歩かされては、ひざはガクガク、息も絶え絶え、とても憩えたもんではない。しかもやぶ蚊が多いときたもんだ。

    憩いの丘から天羽高校を望む   「憩いの丘」には、屋根だけのあずまやがあるが椅子もテーブルもなく、突然の雷雨をしのぐためのシェルターか。その前方にはちょっとした草っ原があり、コンクリートブロックで囲まれたバーベキューコーナーがしつらえてある。その周囲には丸太で作ったテーブルと、テーブルとは無関係に腰掛が置いてある。そして“丘”の最先端部には、コイン式の双眼鏡が、しかも肝心の投入部分が取り外されて丸裸になっている。のぞきこんでみればシャッターが開きっぱなしで、のぞき放題・眺め放題。この高台から天羽高校を望むこともできるので、どろっぷ氏が双眼鏡を回して、無人の校舎を見てみる(←写真左)

    どら焼き「天羽の郷」と栗どら焼き   ひととおりのお約束が済んだところで、“ふもとの町”で買ってきたどら焼きを賞味する。よく見れば「天羽の郷」の名は普通のどら焼きだけで、栗どら焼きにはそれらしい名前がないのが残念(写真右→)。どちらも一人一個ずつ買ってあるので、めいめいがどちらか一つをこの場で食して、もう一つはお持ち帰りとなった。味はと言えば、何も奇をてらうことなく、至極真っ当などら焼きと栗どら焼きで、それなりに美味であった。上総湊駅で買っておいた『千葉日報』を読みながらどら焼きを味わううち、腕まくりした生白い腕の数ヶ所がやぶ蚊の襲撃を受けていた。

     
  • 13:30 食べるものは食べたし、見るものも見たし、でもなんだか釈然としないわだかまりを抱きながら「憩いの丘」を後にする。天羽高校から上総湊駅への近道に再び下り立ち、歩道のない道の右端をたらたら歩けば、前方に峠が見えてきた。左手に診療所と薬局があり、右手はさらに登る道と、「山の上ホテル」という案内看板が。まさか神田の山の上ホテルの分家でもあるまいが。ここから先はいよいよ山肌を斜めにつっ切る下り坂で、エンジンの唸りが一段と高くなる自動車の脇をおそるおそる歩いて下ってゆくと、あっけないほど短距離で駅入口交差点に出てしまった。
      このまま駅へ戻っても、予定している帰りの列車(上総湊14:43発)より1時間も早く駅に着いてしまうので、少しでも時間を稼ぐべく、駅入口交差点を木更津方向へ右折、私がバスを降りたあたりへ行ってみる。「こんなに駅から遠いのに“駅前”だなんて、ひどいなぁ」と同道の士も同意してくれながら、お好み焼き屋・カレー屋・そば屋などの飲食店群を通過、お情けばかり迷ってから、セブンイレブンに入ってしまう。3連休の初日、内房や南房総へ向かう車は引きも切らず、ドライブ中に立ち寄る車も途絶えることがない。「昼食は、駅のそばの食堂で」という当初の目論見を撤回して、ついつい勝手知ったるコンビニランチに手を出してしまった。
      時間があるので、海水浴場をひやかしてみようかとも思ったが、線路を渡って海辺へ出る道が意外に大回りになりそうなので、あっさり断念。富津市民会館と足立区立上総湊健康学園の間を抜けて、線路づたいに駅へ向かう。……地図を見れば、足立区だけでなく荒川区・墨田区・豊島区などの“健康学園”なる施設が、この辺には点在している。臨海学校のための施設だろうか。オフシーズンに遊ばせておくのはもったいない気もするが、活用しようにもオフシーズンは需要がないから、仕方ないか。

    商工会の立て看板と リスのあまは君  
  • 14:00 上総湊駅に無事到着。駅舎内の待合スペースにある木のベンチに腰掛けて、国道沿いのセブンイレブンで買ってきたおにぎりやらサンドイッチやらを食べる。部活帰りなのか、ジャージ姿の中学生は駅前の食堂で買ったカキ氷を、駅舎の軒下で食べている。よくよく駅舎内を眺めてみれば、自動券売機が2台にマルスがある有人窓口兼改札口。当然自動改札機は存在せず、Suicaは券売機でも使えない。はなれの便所は水を使わない“超節水型”。列車は1時間に上下1本ずつしか来ないので、約10分前まで改札口の窓を閉めている。駅舎入口に間借りしている売店は、昼休み中だった。タクシーは、列車が来る時間に合わせて集まってくる。そしてPHSは駅前でも圏外。……なんとものどかな景色である。
      バスが入ってこない、タクシーと自家用車のための駅前ロータリーの片隅には、駅周辺の観光地の地図看板と一緒に、天羽商工会の立て看板が立っている(写真右→)。天羽商工会のマスコットキャラクター「リスのあまは君」は、昨今ありがちなマンガっぽさ・アニメっぽさが全く感じられず、むしろそんな肩の力が抜けた存在は新鮮ですらある。このリスが、天羽の町でどう活躍しているのか、そして何故リスなのか、よくわからない。天羽行政センターが開いていれば、商工会で何らかのパンフレットが手に入ったかもしれないのだが。

      大谷内氏が、悩んでいる。 この後、夕方に横須賀で待ち合わせをしているそうで、どうやって行ったらよいものか。千葉へ出て総武快速・横須賀線に揺られていては、文字通り日が暮れてしまう。最短ルートは、浜金谷から久里浜まで東京湾フェリーに乗ることだが、ここ上総湊から2駅先の浜金谷まで行く電車が、なかなか来ない。駅前から東京湾フェリー行きのバスはもっと少ないし、かといってタクシーでは懐に優しくない。さんざん考えた挙句、みんなと一緒に帰りの列車に乗り込んで木更津で下車、アクアライン経由の路線バスで横浜でも川崎でも羽田空港でもいいから、そこから京急に乗り換えるということになった。

     
  • 14:30 ようやく各自の身の振り方が定まったところで、乗車券を購入。 上総湊駅のホーロー製の駅名標 バスに乗り換える木更津まで、またはホリデーパスが有効な木更津まで、はたまた分割購入して安く上げるために千葉まで。上り列車に乗る人々が駅に集まってきて、窓口で特急券を買い求める人もいる。やがて自然に上り列車の改札開始。屋根のない跨線橋を渡ってホームに降り立つ。どろっぷ氏が指定した上り列車は、お昼に“本隊”4名がやってきたのと同じ、君津以南は普通列車になる、特急さざなみ号。グリーン車なしの8両編成なので、ホームのかなり先の方で到着を待つ。ふと振り返れば、瓦葺き・木造平屋建ての駅舎の外壁に、これまた懐かしい黒地に白抜き文字、ホーロー引きの駅名標が掲げてある(←写真左)。本当にここは東京から100km以内の地なのだろうか?

    君津から特急〔さざなみ〕東京行  
  • 14:43 [上総湊]駅に、薄いオレンジピンクに窓周りが赤という、いわゆる「国鉄特急色」の列車が入ってきた。よく見ると、昔から房総特急として活躍している183系ではなく、信越・中央線から転属してきた189系だった。座席の床が中央の通路よりも一段高く、シートピッチ(座席の前後間隔)を広げたせいで窓と座席が合っていない。どうやら、かつて高崎線でしょっちゅう見ていた〔あさま〕用のグレードアップ車のようで、思いもよらぬ再会に胸がジーンと熱くなっ……たりはしないのだが。
      途中の[大貫]では、部活帰りらしい高校生が乗り込んできたが、空席が目立つ客室内には入ろうとせず、デッキですし詰めになりながら立っている。すぐに降りるからいちいち座ったり立ったりしたくないのか、それとも学校側の指導があるのか。君津以南では最長の8両編成とはいえ、デッキつきの車両が普通列車に、しかも登校・帰宅時間帯の普通列車に充当されている。通勤流動とは逆でも、高校生の動きは馬鹿にできない規模で、JR側と学校側が連携して、他の乗客に影響を及ぼさないよう指導できているのだろうか。

     
  • 15:00 [君津]着。列車はここから〔特急さざなみ16号〕になるので、特急料金が惜しい一般客はとっとと下車し、向かいのホームにやってくる君津始発の普通列車に乗り換えるのである。やはり君津で乗り換える人は多く、15:10 の君津発車時点で座席はだいたい埋まっている。我々5人は、トイレ前のボックス席を確保。立ち席を買って出た大谷内氏は次の[木更津]で下車、アクアライン経由のバスに乗り換える。首尾よくバスに乗り継げただろうか。
     
  • 15:17 始発駅の次の駅なのに、なぜか[木更津]で6分停車。増結するわけでもなければ、久留里線を待つわけでもなく、ましてや単線の行き違い待ちでもない。なぜ6分も停まるのかと問えば、どろっぷ氏は「千葉支社だから(笑)」と、なんとも微妙な返答である。 
  • 15:23 ようやく[木更津]を発車。さっきまでさんざん歩き回っていたので、急激に眠気に襲われる。しーさる氏は相変わらず、川島令三氏の新刊の内容について論じている。
     
  • 16:00 [蘇我]に停車。京葉線のりばはやけに若い人が目立つなと思ったら、今夕は葛西臨海公園でavexの野外ライブがあるんだそうな。それにしてもなかなか発車しないと思ったら、外房線からの特急〔わかしお18号〕が向かいのホームにやってきた。内房特急〔さざなみ〕と外房特急〔わかしお〕は、〔成田エクスプレス〕運転開始に伴って総武線から京葉線経由に追いやられ、千葉駅を経由しなくなったため、千葉駅で乗り降りする特急利用客のために同じホームで接続を取っているようである。こちら普通千葉行も、あちら〔わかしお18号〕も 16:01 同時発車なのだが、あちらは外房線から京葉線への渡り線を速度制限つきで通過するため、こちらの普通列車があっという間に抜き去ってしまった。ただし、東京駅に着くのはあちらの特急の方が圧倒的に早い。

     
  • 16:08 [千葉]に到着。ここで、どろっぷ氏主催のミニトリップは流れ解散。津田沼のアニメショップへ向かう数名と別れて、千葉までの乗車券を持つ私は一旦改札を出る。この先、船橋・東京方面へ乗り継ぐ総武快速線の列車は、16:19発の久里浜行。なんと君津15:36発の快速で、君津で乗り換えるなら初めからこの快速に乗っていればよかったのだが、……まぁいいや、どうせ千葉で降りなきゃいけなかったんだし。



    《※4》川島令三氏……著書の奥付の肩書きは「鉄道アナリスト」「鉄道友の会会員」。1950年兵庫県生まれ、東海大学鉄道研究会、『鉄道ピクトリアル』編集部を経て、現在はフリーランス。主な著書に『どうなっているのか!通勤電車』『新線鉄道計画徹底ガイド』『新幹線はもっと速くできる』などなど、夢いっぱいのラインアップ。鉄道愛好家の間では、著書に事実誤認や誤解、それらに基づく奔放な提言がてんこ盛りで、宮脇俊三氏とは逆方向で有名。『全国鉄道事情大研究』シリーズの新刊『東京北部・埼玉篇1』(2003年7月)でも、「りんかい線の6両編成が川越まで乗り入れる(現実にはりんかい線内限定運用で、埼京線には乗り入れない)」と思い込んでみたり、西武鉄道の創始者を「堤安次郎(正しくは康次郎」と書いてみたり、相変わらずである。


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