| 橋と天羽と音頭と私・そんな梅雨明け前の日帰り旅 (2003年7月19日・日帰り) |
『Lの季節』の舞台となっている高校が、この天羽高校と似ているのかどうか、私には知る由もないが、数年来の念願を成就できたことで、どろっぷ氏の表情は晴れやかである(が、写真右→は少々細工してあるので、晴れやかな表情かどうかわからない)。県立高校も夏休みなのだろう、昼休みの時間帯ながら、校門前に生徒らしき人影はない。校内を探訪してみたい気もするが、知り合いがいるわけでもなく、文化祭などの公開日でもないから、我々「関係者以外」は立ち入らずじまいである。
ところが、民家の脇を通り抜けながら登っていく道は、山上まで自動車が通れるように、階段ではなく坂になっているので思いのほかきつい。ようやく登りきったと思ったら、なんと山上は雑木林に囲まれた畑になっていて、軽トラックで乗りつけたおばちゃんが野良仕事にいそしんでいる。畑のふちのあぜ道をわいわい言いながら、眺めが開ける方向へ歩いていく男5人を、畑のおばちゃんは見ないふり。そして我々はおばちゃんも軽トラもおかまいなしで、ようやく「憩いの丘 2001年完成」という立て札にたどり着いた。クルマで登ってくるならともかく、あんな急坂を歩かされては、ひざはガクガク、息も絶え絶え、とても憩えたもんではない。しかもやぶ蚊が多いときたもんだ。
「憩いの丘」には、屋根だけのあずまやがあるが椅子もテーブルもなく、突然の雷雨をしのぐためのシェルターか。その前方にはちょっとした草っ原があり、コンクリートブロックで囲まれたバーベキューコーナーがしつらえてある。その周囲には丸太で作ったテーブルと、テーブルとは無関係に腰掛が置いてある。そして“丘”の最先端部には、コイン式の双眼鏡が、しかも肝心の投入部分が取り外されて丸裸になっている。のぞきこんでみればシャッターが開きっぱなしで、のぞき放題・眺め放題。この高台から天羽高校を望むこともできるので、どろっぷ氏が双眼鏡を回して、無人の校舎を見てみる(←写真左)。
ひととおりのお約束が済んだところで、“ふもとの町”で買ってきたどら焼きを賞味する。よく見れば「天羽の郷」の名は普通のどら焼きだけで、栗どら焼きにはそれらしい名前がないのが残念(写真右→)。どちらも一人一個ずつ買ってあるので、めいめいがどちらか一つをこの場で食して、もう一つはお持ち帰りとなった。味はと言えば、何も奇をてらうことなく、至極真っ当などら焼きと栗どら焼きで、それなりに美味であった。上総湊駅で買っておいた『千葉日報』を読みながらどら焼きを味わううち、腕まくりした生白い腕の数ヶ所がやぶ蚊の襲撃を受けていた。
バスに乗り換える木更津まで、またはホリデーパスが有効な木更津まで、はたまた分割購入して安く上げるために千葉まで。上り列車に乗る人々が駅に集まってきて、窓口で特急券を買い求める人もいる。やがて自然に上り列車の改札開始。屋根のない跨線橋を渡ってホームに降り立つ。どろっぷ氏が指定した上り列車は、お昼に“本隊”4名がやってきたのと同じ、君津以南は普通列車になる、特急さざなみ号。グリーン車なしの8両編成なので、ホームのかなり先の方で到着を待つ。ふと振り返れば、瓦葺き・木造平屋建ての駅舎の外壁に、これまた懐かしい黒地に白抜き文字、ホーロー引きの駅名標が掲げてある(←写真左)。本当にここは東京から100km以内の地なのだろうか?
《※4》川島令三氏……著書の奥付の肩書きは「鉄道アナリスト」「鉄道友の会会員」。1950年兵庫県生まれ、東海大学鉄道研究会、『鉄道ピクトリアル』編集部を経て、現在はフリーランス。主な著書に『どうなっているのか!通勤電車』『新線鉄道計画徹底ガイド』『新幹線はもっと速くできる』などなど、夢いっぱいのラインアップ。鉄道愛好家の間では、著書に事実誤認や誤解、それらに基づく奔放な提言がてんこ盛りで、宮脇俊三氏とは逆方向で有名。『全国鉄道事情大研究』シリーズの新刊『東京北部・埼玉篇1』(2003年7月)でも、「りんかい線の6両編成が川越まで乗り入れる(現実にはりんかい線内限定運用で、埼京線には乗り入れない)」と思い込んでみたり、西武鉄道の創始者を「堤安次郎(正しくは康次郎)」と書いてみたり、相変わらずである。
| 【その4】踊る阿呆を撮る阿呆 | |