橋と天羽と音頭と私・そんな梅雨明け前の日帰り旅
 (2003年7月19日・日帰り)
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【その4】
 踊る阿呆を撮る阿呆(でも踊ってみたい)

 
  • 16:10 いったん改札を出て、今度はSuicaで入場。そのまま16:19発の総武快速(君津始発)に乗り込んでもよいのだが、小腹が空いたので、コンコースからホームへ上がる階段の間にあるカレーショップで、カレーライスを食う。胸ポケットの携帯ラジオでまともに聞こえるのはbay fmだけ。土曜の午後にパカパカ90分《※5》を聴けないのは残念である。
    錦糸町河内音頭の提灯
     
  • 16:35 発車時刻ギリギリまでなかなか来ないのでやきもきしたが、当駅折り返しの総武快速・久里浜行に乗車。ちなみにここ[千葉]駅は内房・外房・総武・成田の4線を束ねる“要”の駅で、5面10線あるのりばは完全に路線別になっている。逆に、4線すべてと直通運転するけど半分は千葉折り返しという総武快速線は、3〜10番線のどこからでも発車する(1・2番線は総武緩行線専用)。パターンダイヤになっていないので、今度の列車がどのホームから出るのかという規則性は皆無で、発車案内板をよく見なければ乗り換えに難儀することうけあいである。

     
  • 17:05 車中うとうとしながら、あっという間に[錦糸町]に到着。秋葉原・新宿方面へ乗り換える人が多いが、私は南口ロータリーへ出て、丸井と相対する。駅南口の商店街の軒先には、写真右→のような提灯(ちょうちん)がぶら下がっている。今晩と明晩の2日にわたって「錦糸町 河内音頭大盆踊り大会 2003」が行われるのである。
      なぜ東京の下町・錦糸町で河内音頭をやっているのかという疑問については、『日本一あぶない音楽――河内音頭の世界』(編=全関東河内音頭振興隊、1991)という本も出ているのだが、錦糸町河内音頭2004の公式ページによれば、1978年に朝倉喬司氏(現・全関東河内音頭振興隊 隊長)が河内音頭を取材、それが『ニューミュージックマガジン』に掲載されたことで関東の音楽関係者が触発され、1982年に渋谷と錦糸町で1日ずつコンサートを行ったのが最初。3年目からは2日とも錦糸町公演となり、翌85年からは都有地を利用して初やぐら。97年には、その都有地が丸井の立体駐車場になるので、首都高速高架下の親水公園へ移動。そして今年、とうとう路上への進出を果たし、日取りも8月下旬の平日から7月の土日へ。スペースも広がったが、人出も前年を大きく上回ることが見込まれているらしい(2002年までは平日の2日間で約2万人の人出だったが、2003年は45,000人も動員したそうである/事後報告)
    開演30分前のダービー通り
     
  • 17:20 丸井のわきの路地を入ると、足元には車両進入禁止の看板が立っており、頭上には提灯がぶら下がっている。主会場となるダービー通りへ出ると、センターラインに赤いパイロンが立っているが、踊りの輪はどこにできるのだろうか(←写真左)。普段のこの通りがどんな雰囲気かは知らないが、18時のスタートを前に人出がだんだん集まりつつある。写真で言う左奥には、スポンサー名を書いた提灯がびっしり並ぶやぐらというか舞台がしつらえてある。沿道の露店は着々と支度が整い、すでに飲み食いを始めている人もいる。お祭りでよく見るタコ焼きや綿菓子の屋台ばかりでなく、とおりに面した飲み屋が店先に椅子を出してビールやおつまみを売っている。ちなみにダービー通りという名前は、JRAの場外馬券売り場「WINS」のA館とB館を南側で結んでいることに由来しているらしい。
    開演直前の前説
     
  • 17:50 東西に伸びるダービー通りが、南北の牡丹橋通りに突き当たった丁字路に設けてある舞台に、前説を兼ねて若い音頭取りが上がった。前年から会場が変わったことの注意事項、トイレの場所、どのへんを通り道にするかなど。それと一緒に、河内音頭の“バックバンド”のメンバー紹介。写真右→で言うと、左端に太鼓、その奥にコーラス(合いの手)のスタンドマイクが約3本、舞台中央に立つ音頭取り、後ろにシンセサイザー、そして向かって右手でスタンバイ中のエレキギターと三味線。シンセサイザーは、若手の音頭取りが持ち込んだようで、全てに使うわけではないらしい。それよりも「エレキギター」が混じるのが、河内音頭らしいところである。河内音頭のギターは、当然ながら「ギュイィイーーン」などと自己主張することなく、「チャンカチャッカ」と三味線のように小刻みに爪弾かれる。
    スタート直後
     
  • 18:00 になるかならないうちに、トップバッターが「舞台」に上がった。……いや、やっぱり「やぐら」と言うべきか。夏至から1ヶ月足らず、まだまだ明るいうちから、浴衣や法被を揃えた人々、普段着で来ている人、ストリート系っぽいコスチュームに身を包む若者などが、少しずつ車道に出てきて思い思いに踊りだす。ここの河内踊りは、阿波踊りやYOSAKOIソーランなどとは異なり“連”を組む必要がなく、個人でもグループでも飛び入り自由。まだ人が少ないからか、飛び入ったかと思えばすぐ抜け出し、しばらくしてまた踊りに加わる人もいる。ダービー通りのセンターラインに置かれたパイロンをはさんで“時計回り”に回っているが、始まったばかりなので途中で折り返している。
      踊る人々を見ていて面白いのは、踊りが一様でないということ。大きく分けると、すり足のような静かな足さばきで、両手でしなやかに踊る「手踊り」と、ぴょいぴょい跳ね回る足さばきというかステップが特徴的な「マメカチ」の二通りに大別される。「手踊り」が一サイクル10拍であるのに対し、「マメカチ」は一サイクル12拍で、両者の踊りはめったにシンクロしない。もっと細かく言えば、それぞれにバリエーションがいくつか存在し、さらに踊り手によっては大胆なアレンジを加えている人もいる。 翔・風牙 その中で、上下黒装束に揃いの白い大きな法被をはおり、ヒップホップっぽいテイストを加えた(←解らぬまま言ってるかもしれぬ)独創的なダンスを繰り広げている4人組がいた。後で調べたら、大阪近郊からやってきた“超電撃的盆舞踊集団”翔・風牙だそうで、すでに近畿地方の盆踊りではかなりの有名人だとか。この日も、取材のカメラクルーがついて来ていたらしいが、錦糸町での認知度も結構高そう。徐々に長くなっていく踊りの“輪”の中で、行く先々から拍手喝采を浴びていた。
      ……とまぁこんなふうに、同じ音頭に合わせて隣り合う人々がまるっきり違う踊り方をしているけど、どちらに合わせるでもなく、踊り手それぞれが踊りを心底楽しんでいる。すでに東京の中で「西の高円寺(阿波踊り)、東の錦糸町(河内音頭)と並び称されているらしいが、 舞台前の折り返し地点 その割りに河内音頭の東京全体への浸透度が低いような気がする。今回、TBSラジオが協力しており、前日の「大沢悠里のゆうゆうワイド」冒頭でも錦糸町河内音頭の紹介に時間を割いていたが、効果はいかばかりか。あ、そうそう、本部テントのすぐそばにTBSラジオのテントが出ていたので、番組表をもらう。TBS受付やレコード店などで配布している、番組名と出演者だけが書かれたシンプルなものではなく、ワイド番組内の各コーナーにスポンサー名まで書いてある“営業用”の番組表。個人では、普段なら頼んでも貰えない物なので、ラッキーである。続いて本部席でカンパして、うちわを一つもらったら、なんとTBSラジオ「ザ・ベースボール」のロゴ入りだった(色によってスポンサー名が違う)

      関西で盆踊りといえば“地蔵盆”の7月24日か月遅れの8月24日に合わせて行われることも多く、ここ錦糸町も前年までは8月下旬の平日に行われていた。今年は諸般の事情で1ヶ月繰り上がり、つまり夏至に1ヶ月近づいたわけで、同じ時刻でも今年の方が明るさが残っている。ここいらで、路上の踊りからやぐら上へ目を転じてみる。錦糸町の観客は、沿道で踊り手を見つめる人々と、やぐら下で音頭取りを見つめる人々の二手に分かれる。河内音頭の中身は、義太夫や浪曲のストーリーに節をつけて、時には生のセリフも交えて唄い上げるもので、15分以上かかることもザラである。だから、踊りそっちのけで音頭取りの熱演を楽しむ人々も多い。まぁ、踊り手や沿道の人々は唄の文句などそっちのけで、リズムさえ聞こえればいいのだが。
      やぐら上には、音頭取りが次々に出てくる。河内音頭の流派あまたある中から、鳴門会・日乃出会・ 三音会・光丸会の四派が集う河内音頭 連合会がやぐらを取り仕切っており、四派それぞれが送り込むベストメンバーに加えて、ゲスト音頭取りも加わるので、各派が手分けしてやぐらに上がる近畿地方ではまず見られない豪華な顔合わせなのだそうだ。以前には河内屋菊水丸氏や中村美律子さんも来たそうだが、 三音家美登里こと大原美登里 三味線の虹友美今回は演歌歌手の大原未登里さんが、三音家一門の“三音家未登里”としてやぐらを務めた(←写真左)。ついでに、舞台上手の三味線弾きが、こういう場には珍しい(?)妙齢の女性だったので、撮ってみた(写真右→)。冒頭のメンバー紹介によれば 虹 友美さん(資料によっては虹 知美とも表記)といい、河内音頭 連合会の会派には属さず、当日はゲスト扱い。ネットで検索してみたが、Googleで数件ひっかかる以外に手がかりはない。日本髪をつけて舞台に上がっている写真があったので、関西の小劇団に属する舞台女優なのかもしれないが。

     
  • 19:00 ようやくあたりは暗くなってきて、沿道もやぐら前も混み合ってきた。踊り手も増えて、踊りの輪はいつの間にか二重になっており、向こうの折り返し地点を延ばそうかと相談中。終演は21:30で、まだまだ真打はずっと後ろなのだが、このままウロウロしていても、立ち止まるにも歩くにも難儀しそうな混み具合になりつつあるので、後ろ髪を引かれながらも退散。京葉道路を渡って南口ロータリーまで来ると、丸井やWINSの建物に阻まれているのか、目の前を行き交うクルマにかき消されているのか、河内音頭の声も音もほとんど聞こえてこない。会場のすぐ裏手は住宅密集地なので、街灯に小型スピーカーをいくつも付けて、必要以上の大音量にしないよう配慮がなされているのだ。目と鼻の先で盛り上がっている祭りの声が聞こえてこないのは、少々さびしくもあるが、都市密着型イベントのあるべき姿なのだろう。
     [錦糸町]で総武緩行線・中野行に乗り込み、[秋葉原]で京浜東北線に乗り換える。19:30 [上野]から高崎線でとっとと帰ろうと思っていたら、駅の構内放送で「只今、中央改札前広場におきまして、盛岡・さんさ踊りの連がやってきております」と言っている。ここでも踊りかよ! と心の中でツッコミながら改札を出たら、確かに中央改札口の向こうから、祭囃子の太鼓の音が聞こえてくる。
    上野駅中央改札前でさんさ踊り たまたまこの晩は「うえの夏まつり」のパレードも実施されていたようで、青森ねぶた・秋田竿灯・盛岡さんさ踊り・佐渡おけさなど各地の踊りが、上野広小路・松坂屋前から上野駅中央改札前まで練り歩いてきたそうだ。そしてJR東日本上野地区の社員による“さんさ踊り”の連がそのまま広小路口から駅舎内に入ってきて、太鼓を抱えて打ち鳴らしながら中央改札前の広場で何周か踊って見せて、浅草口から退場していった。
     この後も、JR社員による踊りの連がいくつかやってきたようだが、さっきまで見ていた錦糸町の河内音頭でおなか一杯になっていたので、再び中央改札を通り抜けて、高崎線の普通列車に乗り込んだ。



    《※5》パカパカ90分……「サタデー大人天国 宮川賢のパカパカ90分」TBSラジオで土曜15:30〜17:00。いいトシこいたバカ大人がしでかした失敗談を募集し、生放送でリスナーにしゃべってもらって爆笑する番組。劇団ビタミン大使ABC主宰の宮川が舞台で休むときは、傑作選をやるので、聞き逃せない。ちなみに私が一番好きな話は、「アルバイトで、消火器の注文を受けて翌日に配達に行ったら、ちょうどその家が鎮火したところだった」という話。


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