橋と天羽と音頭と私・そんな梅雨明け前の日帰り旅
(2003年7月19日・日帰り)
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【その2】
天羽
を求めてさまよう男五人
12:05
それじゃあぼちぼち行こうか、と上総湊駅を背に歩き出した途端、駅前の
天羽日東バス
本社営業所
兼
上総湊駅バスのりばから、「東京湾フェリー」という行先幕を出したバスが出て行った。フェリー利用者限定の送迎バスではなく、れっきとした路線バス(湊駅12:05発)である。
(写真右→:上総湊駅前バスのりば)
バスは建物に向かって左側の陰で発車を待っていた。
駅入口交差点で、「こんな狭い交差点なのに……」などとぶつくさ言いながら歩道橋を渡り、国道127号線の左側の歩道を南へ進む。どろっぷ氏が設定した目的地は、
Yahoo! 地図情報
に載っている、「天羽」と名のつくところで、上総湊駅からあまり遠くないところ。
富津市天羽商工会
のページによれば、もともと「天羽」という地名は平安時代から使われ、昭和46年までは現富津市の南部を占めていた町の名でもあったとのこと。だから、天羽と名のつくスポットは上総湊駅周辺に限らず、隣駅の竹岡の周辺にも見られるのだが、今回は徒歩で巡るので、道中で見つける「天羽スポット」を突発的に鑑賞(?)する一方で、天羽中学校などやや遠い場所は泣く泣く割愛となった。
12:15
駅入口交差点から5分ばかり歩くと、左手に
君津信用金庫天羽支店
が。土曜日なので当然休業だったが、さっそく地図にない天羽スポットを発見してご満悦のどろっぷ氏。店名部分をバックに記念撮影をしたかったのだが、スポットごとにいちいち記念撮影していてはキリがないので、自制。
君津信組
(略して
きみしん
)
のちょっと先の右側に、消防署があった。
富津市消防署天羽出張所
は比較的古そうなたたずまい。消防車と救急車の間の柱に、大型の消火器の容器にイラストを描いたものが立っている。もっと近づいて見ればよかったのだが、……どうやら
○ーラー○ー○
っぽい。伏字にしたのは、ムーンだかマーズだか、それ以前に“セーラー”なのか確信がないからである。二次元キャラにはめっぽう強いはずの“本隊”4名に振ってみたが、誰も断定してくれない。守備範囲が違うのだろうか。
12:20
「富津市 湊」の交差点を左折。ここを直進して湊橋を渡った先の海良
(かいら)
地区には、富津警察署の本署とJA富津市の本店、そしてJAの直売所
「天羽ふるさと館」
もあるのだが、どろっぷ氏が農産物に興味を示さなかったので、パス。富津公園のそばから始まって、佐貫で国道127号線と合流した国道465号線は、ここで127号線から離れて山間部を分け入り、外房・大原を目指す。このあたりは東京湾に注ぐ湊川に沿って上総湊港にも近く、国道に沿って商店街が形成されている。河口の港町ということで古くから栄えていたのだろう、商店街の合間には蔵が多く見られる。
←写真左
の建物も奥の蔵とともに、外壁といい窓枠といい興味深いが、なぜか海側の壁全体を赤いトタン板で覆っている。
12:25
国道465号線を東へ向かって歩いていると、左側に
松月堂菓子舗
というお菓子屋さんを発見。“本隊”4名はノーマークでここを通り過ぎようとしていたのを、私が呼び止めた。この手のお菓子屋さんは、商品のネーミングに地元の名所旧跡や故事来歴を盛り込むことが多い。地域名も付くことが多く、円くて黄色いスポンジケーキの中にカスタードクリームが入った「○○の月」というお菓子なんぞは、その好例である。
一人で店に入っていったら、残る4人もさほど広くない店内へぞろぞろと入ってきてしまい、応対に出てきたおばさんは面食らっている。そんなことはお構いなしに陳列ケースを眺めて、というより睨んでいたら、あったあった、
『天羽の郷』
という名のどら焼きが。われながらの勘のよさに一人静かに酔っていたら、後列の面々は低い歓声を上げており、店の奥から誰かがこちらをうかがっている。どら焼きと栗どら焼きが5個ずつ入った詰め合わせを一つ注文。進物ではないので包まなくてもいい、と申し出たら、ますます怪訝な表情で「包まなくていいの? 本当にいいの??」と念を押され、「じゃあ箱もいらないネ。箱代
(100円)
かかっちゃうから」と、化粧箱ではない白ボール紙の箱に詰め替えてくれたのはありがたい。箱代が浮いて、1,400円+税。無事買い物を終えて店を出たら、日が射してきたので、店頭の自販機で各自飲み物を購入。
天羽祭礼
という葬祭センターを右に見ながら、一行は「このどら焼きをどこで食おうか」と思案中。松月堂菓子舗の並びにある
千葉銀行
は湊支店を名乗っているが、これ以外で旧天羽町域にちばぎんの支店はない。少し先の上町バス停前にある
千葉信用金庫天羽支店
(←写真左)
は、数年前の地図では木更津信金とあるが、平成14年1月に千葉・成田・木更津の3信金が合併して千葉信用金庫となった由。ちょいと調べてみたら、旧天羽町域のうち湊よりも南には銀行・信金・信組がない。JRの駅がある竹岡・金谷でさえも農協・漁協・郵便局だけらしいのだが、こんなもんなのだろうか。
千葉信金の隣に、やや大きめのスーパーとドラッグストアが併設されており、駐車場が広いのは土地柄か。「千葉なのにマツモトキヨシ以外のドラッグストアがあるとは」とどろっぷ氏が驚嘆していたが、
ドラッグストア与三郎
(湊店)
というネーミングもインパクト十分。
この
本店がある
木更津
は
、春日八郎の『お富さん』のモチーフになった歌舞伎の当たり狂言『与話情浮名横櫛
(よわなさけ うきなのよこぐし)
』の登場人物・
切られ与三こと
与三郎
の出身地
である。ちなみに、併設されているスーパーは、なんと
オレンジの看板の
「吉田屋」
。牛丼屋ではないものの、まさか上総湊に実在するとは、お釈迦様でも知らぬ仏のはなわさん、ってなもんだ。
12:35
その吉田屋の向かいの道を左へ入っていくと、短くも急な坂の上にコンクリート造りの建物が現れた。
富津市役所天羽行政センター
で、庁舎の1階には
天羽商工会
が入居している。さいたま市が、旧与野・大宮市役所を“行政センター”
(現在は中央・大宮の区役所)
にしていた例もあるように、ここは昭和46年に富津市が生まれるまで、天羽町役場だったと考えて間違いない。1955
(昭和30)
年に4町村が合併して天羽町が誕生した時点か、1963
(昭和38)
年に峰上村とくっついた時
(右上図参照→)
に、この庁舎が建ったのだろう。
庁舎の正面玄関前には、水が出るんだか出ないんだか、柵に囲まれた噴水がある
(写真右→)
。デジタルカメラを腕一杯上方に伸ばして撮ったので斜めに写ってしまったが、噴水の中央が「天」の字をかたどった円形のマークになっている。どうやら旧天羽町のマークらしいが、天羽行政センター周辺ではこれ以外に旧天羽町の遺物は見つからない。土曜閉庁日なので、中に入ってパンフレットをもらうこともできなかった。
行政センターの裏手には、
学校法人天羽学園 みなと幼稚園
もあった。地図には「みなと幼稚園」とだけ載っているので、やはり現地へ行って見なければ分からない。やはりこちらも土曜休園日で無人だったが、幼稚園というだけで必要以上に反応してしまう輩が5人の中にいなかったのは、まぁ健全なことである。
12:40
坂を下りて国道465号線に戻り、引き続き山側へ進む。商店街は途切れて、左手から山が迫ってくる。左側の歩道がなくなったので、交通量がまばらな車道を横切って、湊川に面した右側の歩道へ移る。左側はがけの斜面にコンクリートが吹き付けてあるが、そのコンクリート面を少し掘り下げて工事用具置き場にしてあったり、山の斜面がまるで建物かのように扉がついている。……がけの斜面に穴を掘って、いいのか? 川向こうはグラウンドや遊歩道が整備されていて人家も見られる。厚い雲の切れ目から夏の日差しが降り注ぎ、川べりの木陰がありがたい。
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