月刊コラム page 23.

 町制1周年! 100円バスが走る川里町と地方自治


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 埼玉県北埼玉郡川里町は、私が住む鴻巣市の北隣に位置します。「北隣」っていうと吹上町というイメージが何となくあるんですが、中山道は北西か北北西に伸びていくので、……そんなことはどうでもいいですね。ちなみに上越新幹線は通っていますが、国道は通っていません。
 今回は、市町村合併問題・行政サービスとしてのバス・そして町長逮捕など、地方自治っぽい話に終始しますので、タイトルに「地方自治」などとぶち上げてしまいましたが、せっかくですのでどうぞおつきあいください。

  【町村合併と町制施行】

 ちょうど今は、さいたま市誕生に代表される“平成の大合併時代”と言われているそうですが、日本の地方行政史上には、それ以前に2度の“大合併”時代がありました。最初の大合併はと言いますと、明治22(1889)年4月「市制町村制」施行による“明治の大合併”でした。それ以前は江戸時代からの集落がそのまま「村」になっていたため、自治体数が7万以上もあったのを、4分の1以下に縮小するとともに、39の市が設けられました。

 2度目の大合併は、昭和28(1953)年10月〜31(1956)年9月の3年間だけ発効した「町村合併促進法」による“昭和の大合併”。行政効率の向上という、21世紀の現在と全く変わらない理由付けのもと、終戦直後に10,520だった市町村数を、「町村合併促進法」失効時には3,477にまで圧縮しました。(右図参照)

 現・川里町においては、まず明治〜大正期にかけての合併促進政策により「屈巣(くっす)」「広田(ひろだ)」「共和(きょうわ)」の3ヶ村がつくられました。そして「町村合併促進法」が発効中の昭和29年に、3村の合併により「川里村」が誕生しました。村内の地名には「川」も「里」もないのですが、『村域の南西を元荒川、北東を星川(見沼代用水)が、そして村の中部を野通川(やどおりがわ)が流れ、村全体が川の恵みを享受しているので、地勢を表す「川里」という地名を作った』のだそうです。

 そして2001年5月1日、さいたま市誕生と時を同じくして、川里村は町制施行し「川里町」となりました。町制施行直前の2001年4月1日時点で、人口は8,025人。ちなみに、間もなく2002年4月1日、荒川を挟んで南に接する大里郡大里村も町制施行して、県内40番目の町「大里町」になります。



 ……ところで、「村」「町」「市」は、どう違うのでしょうか。

 まず「市」になるための要件として、地方自治法第8条では「(1)人口が5万人以上。(2)その自治体の全戸数のうち、中心市街地区域に6割以上が含まれること。(3)商工業・サービス業に従事する世帯人口が、全人口の6割以上。(4)その他各都道府県条例が定める要件を満たすこと」と定められています。ただし(1)の人口要件については、平成17(2005)年3月31日までに市町村が合併してになる場合に限り4万人でOK、と市町村の合併の特例に関する法律(合併特例法)第5条の2 で定められています。
 また(4)については、埼玉県の「都市的施設その他の都市としての要件に関する条例」を例に引きますと、相当数の官公署」「高等学校」「図書館・博物館・公園等の文化施設」「上下水道・ゴミ処理施設」「軌道・バス等の交通施設」「都市計画と道路整備」「相当数の銀行・会社・工場」「相当数の病院・診療所」「既存の市と同等の財政規模・担税力」「将来の都市的発展が見込まれることの10項目が定められています。……「相当数」というのが、何とも玉虫色な法律用語ですな。県によっては、「病院・診療所を2ヶ所以上」などと数を明示しているところもありますが。

 「市」「町」・「村」の違いは、上記のような規模の差のほかに、都道府県に代わって社会福祉事務所・保健所を設けることが法律で定められています。また、“○○郡”の区域から外れるという点もありますが、明治憲法下の地方自治組織として“郡役所”が置かれていた時代とは異なり、現在では“郡”は単なる地域呼称以外に何の機能も持ちません。詳しくは後で述べますが、北埼玉郡川里町が(元・北足立郡)鴻巣市と強く結びついていることは、郡が違うからといって特に問題はありません。



 残るは「町」「村」の違いですが、地方自治法第8条の2では「町となるべき普通地方公共団体は、当該都道府県の条例で定める町としての要件を具えていなければならない。」と書いてあるだけで、町になるための条件は各都道府県が条例で定めています。
 埼玉県の町としての要件に関する条例では、「人口5千人以上」「中心市街地に全戸数の5割以上ある」「商工業・サービス業従事者の世帯人口が5割以上」「官公署がある」「商工業・サービス業従事者の世帯人口が増え続けている」「病院・診療所がある」「将来の都市的発展が見込まれる」の7項目が定められています。ちなみに他の県では「人口1万以上」(群馬・岩手など)だったり「文化的施設がある」「各種施設が他の町に比して遜色がない」など、少しずつ違いが見られます。ちなみに、各都道府県が「町としての要件に関する条例」で定めている以外に、「町」「村」の差異はありません。 あとは、「村」は「町」よりも田舎っぽい、などというイメージの問題ですかね。
←写真左:道路標識の「村」に「町」ステッカーが重ね貼り)


  【新井町長 職務強要で逮捕】

 1月に循環バスが走り始めてから、すぐにコラムを書こうと思いつつ、いろいろあって3月までしまい込んでいたら、こんなニュースが飛び出しました。
 川里町長が自ら推薦する元職員を助役に選任する議案に賛成するよう、町議会議員を脅したとして、3月4日、川里町の新井貢町長(65)が職務強要の容疑で逮捕され、22日にはさいたま地裁に起訴されました。
 昨年5月に町制施行直後の町長選で初当選した新井被告は、昨年9月中旬頃、町議会に提出予定の“助役選任議案”に賛成させるために、ある町議の家を訪ね、「反対すれば指名停止しちゃうよ。俺はそういう武器を持ってんだ。脅かすわけじゃないんだよ。」と脅した疑いがあり、新井被告も認めています。この町議の家族は住宅設備関連業者を経営しており、町の指名業者にも選定されていましたが、町議が“助役選任議案”に反対してからは、この業者が指名から実際に外されました。
 この業者だけでなく、新井町長就任以前と以後では、町(または村)が発注する公共事業の入札業者は“総とっかえ”とも言えるくらいに入れ替わりました。「議員と業者の癒着を断ち切る“改革”の途中だった。今まで落札が多かった議員の関連業者を意図的に入札から外していた」というのが新井町長側の言い分ですが、実際にはまた別の業者を優遇していたようです。

川里町(村)公共事業の発注先・件数
土木課発注の主要工事 そのうち町内5業者の落札件数
2000年度
(新井町長就任以前)
43件 27件(62.8%)
2001年度 6月〜2月
(新井町長就任以後)
36件  9件(25.0%)



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