月刊コラム page 18.
 温泉が出た! W杯も来る浦和美園


浦和美園駅正面口  前回のコラムで取り上げた埼玉高速鉄道の終端駅は、計画段階では「浦和大門」という仮称がついていました。ご当地「浦和市大字大門」は、国道122号線や同463号線が通っていて、ラジオの交通情報でもしばしば聞かれる地名であります。
 ところが、2000年9月の駅名正式決定で発表されたのは「浦和美園」(写真右→)。いざ浦和市の地図を広げては見たものの、「浦和市美園」という地名はどこにも見えません。でも、美園と名のつくものはいくつか見つかりまして、浦和市役所の“美園支所”に浦和市立“美園中学校”“美園郵便局”と消防署の“美園出張所”、そして東北自動車道をまたぐ“美園陸橋”、さらに“美園郵便局”“美園支所入口”の2つのバス停。

……行政地名にないのに駅名になった“美園”とは、
いったい何なのでしょうか?



美園村周辺図

  【三つの村】

 埼玉県の地名事典をひも解きますと、出てきたのは「美園村(みその-むら)」。昭和31(1956)年に野田村大門村戸塚村の三つが合併して生まれたもので、昭和37(1961)年には廃止されて浦和市・川口市へ編入されてしまいました。
(右図:旧三村の図。うすい朱色の一点鎖線が、2001年4月現在の市境)


 新村名は公募によるが、美園の美は三村合併を表わした「三」に通じ、かつ新村を美化する意であり、園は三村とも丘、野、林などを有し、植物公園的地形をなしていることにちなんだものである。
 その後同三十七年五月一日、同村の廃されるに及び、旧野田村、同大門村の両区域は浦和市に、旧戸塚村の区域(大字北原の一部は浦和市に編入)は川口市に編入された。


『埼玉県地名誌―名義の研究―』
韮塚一三郎・著(昭和52年)


 生まれてから消えるまで、たった6年。浦和市では、見沼代用水以東の野田・大門地区を総合する呼称として「美園」の名を行政的に使っていますが、川口市では旧戸塚村の地区を「戸塚(とづか)」か「東川口」と呼んでおり、わざわざ「美園」の名をひっぱり出している例は官民ともにありません。

 さて、この旧美園村は、現・川口市部分と現・さいたま市部分では、雰囲気が大きく変わります。川口市に属する戸塚(とづか)は、JR武蔵野線 東川口駅が近いので住宅地として発展し、最近では郊外型のスーパーや専門店、レストランなどが出店し、ニュータウンのような街並みになっています。そんな新興住宅地から近い埼玉高速鉄道 戸塚安行駅は、開業前の利用客数見込みに対する4月の達成率が、全線7駅中最も高い(それでも97.6%)のですが、同駅に関しては開業前の見込みが弱気だったのでは、などと邪推したりして。
 さいたま市に属する、旧大門村・旧野田村のあたりは、東北自動車道と国道122号線が南北を貫いて走っていますが、国道沿いに大型店が軒を連ねるということはなく、雑木林と田園の中を走り抜けるという、まぁのどかなところです。ミニ動物園もある「大崎園芸植物園」や、天然記念物の“野田のサギ”がいたことを記念する「さぎ山記念公園」、さらに浦和競馬場のトレーニングセンターもあります(一般向けではないので地図に載せませんでしたが)。
 こういう郊外の田んぼの真ん中に学校を誘致して「緑の学園都市」とか叫んでしまう自治体が最近増えてしまいましたが、浦和はそんなこと言わない(埼玉大学と浦和高校で手一杯?)その割りには、浦和短期大学・共立薬科大学浦和校舎・国立武蔵野学院・浦和学院高校(通称“浦学”)と、高等教育機関が点在しています。

 ついでにもう一つ、国際興業バスさいたま東営業所が2000年10月、上野田に設けられました。これは、浦和駅の北側約1kmの所にあった浦和営業所と、大宮公園サッカー場の向かいにあった大宮営業所を統廃合したものです。以前は、バスターミナルである浦和駅・大宮駅から車庫(営業所)が近かったので、車庫から駅前へ出て各地へ向かうというのが出庫の流れでした。しかし、さいたま東営業所はさいたま市の東のはずれにあるので、浦和駅・大宮駅へ長々と「回送」にするのは無駄になりますから、出庫車が駅前まで(当然、車庫へ帰る入庫車も)お客を乗せて営業運行するわけです。しかも、駅まで離れているので出入庫ルートが何通りも設定できる(さいたま東〜浦和駅間だけで5ルート)だけでなく、東川口・東浦和・東大宮・岩槻の各方面へも出庫車を直接向かわせられるので、車両運用の柔軟性が大きくなりました。路線バスの系統に少なからず興味と関心を抱く私・東雲としては、これほど出庫車のルートがバラエティに富んでいるバス営業所は、神奈川中央交通 町田営業所(野津田車庫)以来の快挙、と一応喜んでおります。



埼玉スタジアム2002完成予想図

  【埼玉スタジアム2002】

 NHK BS-2の「おーい、ニッポン。今日はとことん埼玉県」では「さいたまスタジアム2002」と誤表記したり、数字を「にせんに」と読んだりしていましたが、深谷市の下手計(しもてばか)を読ませるクイズで「へたばか」を正解にするくらいですから、番組の知識集積力はたかが知れてます。そもそも早押しクイズの問題を3択で出すという神経がわからん。 ……それはさておき、こちらはさいたま市営ではなく埼玉県営の「埼玉スタジアム2002」、公式なルビは“にまるまるに”ですが、声に出して読めば“にーまるまるにぃ”っていう感じですかね。「2002」が全角か半角か? ……そこまでは知りません。どっちでもよろしいんじゃないですか。
 観客席数63,700は、サッカー専用スタジアムとしては日本最大。客席の3分の2を屋根が覆い、ピッチは天然芝が張られ、冬でも枯らさない工夫が施されています。他にも、バリアフリーだとか防災備蓄基地だとか、いろいろあるんですけど、そういうことは他所でも取り上げてますから、当方はばっさり割愛。

 で、気になる交通アクセスですが、すぐ南側には東北自動車道の道浦和ICがあります。川口・首都高方面から浦和ICで出入りできるよう現在工事中です。また埼玉高速鉄道・浦和美園駅から、スタジアムへ回り込むように片側2車線の道路が出来上がっていますが、真新しい舗装にはこれまた真新しいタイヤの跡が幾重にもつけられており、週末の夜にはどれほど騒々しくなるかは、推して知るべし。ご近隣の皆様には、お見舞い申し上げます。
車両基地からスタジアムを望む
 さて、鉄道アクセスの為には、浦和美園駅の北方にある車両基地内に臨時駅を設けることになっていたのですが、仮設のホームや駅施設では短期集中的利用に耐える強度・安全性に難あり、また本設駅と同様に造った場合、仮設の3倍程度の費用がかかるため、結局臨時駅は設けられないことになりました。写真左を見ると、浦和美園駅の北側に広がる車両基地の東側が更地になっており、当初の計画ではここに臨時駅ができるはずだったのかな、と思えたりします。
 県・鉄道側は「駅からスタジアムまで徒歩15分と言っても、途中お店に寄ったりしゃべったりしながら歩けば、すぐ着いてしまいます」などと苦しい弁明をしていますが、今のところ浦和美園駅前にはコンビニはおろかラブホテルもカーディーラーもよろず屋さえもなく、今後W杯特需を当てこんで、サッカーグッズの店がプレハブで建つか、せいぜいコンビニが駅前(463号バイパスの角)に店を出すのが関の山ですねぇ。また、心安い友達が記名式チケット(譲渡禁止)に全員めでたく当選して、和気あいあいとしゃべりながら徒歩15分の長さを感じない、という幸せな人々がどれだけ生まれるか。……まぁ、現実には臨時バスが出るんでしょうけど。



温泉掘削やぐらに垂れ幕

  【温泉が湧いちゃった】

 2001年3月24日(土)の埼玉新聞県南面に、「天然温泉が湧出」という大見出しが踊っています。最近になって北本や春日部、さいたま新都心などで温泉が続々と掘り当てられているので、温泉そのものは格別に驚くわけでもありませんが、なんと湧き出した場所が「浦和市大門」。時はまさに埼玉高速鉄道の開業直前、その終点:浦和美園駅からさほど遠くないところであります。
パーラー泉 跡地
 閉店したままのパチンコ屋の表には、建築足場用のパイプとトタン板で柵が設けられていますが、裏にまわれば高さ24mの温泉掘削やぐらが立っています。ここへ訪れた3月25日(日)の時点では、やぐらから 天然温泉湧出という垂れ幕が南向きに下がっていました。南側がくぼ地で開けているので、国道122号線を北上してくると、前方左手にやぐらと垂れ幕がちらりと見えたはずです。
 地下約1500mの深さから毎分430リットル、地上での温度は摂氏40.5度。若干ぬるめですが、家庭用の浴槽が1分足らずで満たされる湯量です。泉質は“ナトリウム-塩化物強塩泉”で。神経痛・皮膚病・婦人病などに効能があるのだとか。

湧き出しっぱなしのお湯
 ここのパチンコ屋を経営していた会社は、廃店を改装して温泉施設に造りかえ、今秋に再オープンするそうです。場所は、県道105号:大宮鳩ヶ谷線と国道122号線が交わる「大門北」交差点の西側にある、パチンコ店「パーラー泉」の跡地。国道463号本道とバイパスの間にあたり、路線バスなら「大門上」が最寄りです。肝心の浦和美園駅からは、浦02系統で「大門上」下車。歩くと10〜15分くらいかかりますが、東北道浦和ICの南側にあるので、車で来る分には不自由しないでしょう。あとは、入浴料がそんなに高くなりませんように。



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