週刊彩の国コラム page 14.
第二の県都! 2匹のリスと鉄道のまち・大宮
当コラムで私は、以前「大宮はでしゃばりすぎだ」とかなんとか書いておりましたが、はなっから大宮のことを嫌いなのではありません。むしろ、高崎線沿線の住民としては、ちょっとした用事や買い物で真っ先にあてにする街でして、文教都市・浦和と双璧を成す商都・大宮の顔を立てなければ、とかねがね思っておりました。
そもそも、明治16(1883)年に日本鉄道会社・上野〜熊谷間が開通したとき、大宮にはまだ駅がありませんでした(上野・王子・浦和・上尾・鴻巣・熊谷)。武蔵国一ノ宮:氷川神社の門前町として、また中山道の宿場町としても栄えた大宮が明治維新後に衰退し、とりあえず大宮に駅を設ける必要性はなかったのです。
しかし、東京から宇都宮・福島・仙台方面へ向かう鉄道(いわゆる東北本線)を建設することが決まると、上野〜熊谷間のどこで分岐させるかが問題となったのです。
- 奥州街道に沿って、川口で分岐し岩槻・幸手を経由する案
- 大宮で分岐し、蓮田・久喜を経由する案
- 熊谷で分岐し、太田・足利・佐野・栃木を経由する案
当時、生糸の生産が輸出産業として活気付いていた両毛地域の実業家は、3.熊谷分岐案を強力にプッシュしたのですが、鉄道局長・井上勝は
「宇都宮止まりの路線ならちょっとくらい遠回りしてもいいかもしんないけど、先は長いんだしさぁ、ここはまっすぐ宇都宮へ向かった方がいいよねぇ。」
というような意味合いの理由により、2.大宮分岐案を採用し、それにともない明治18(1885)年に大宮駅が、続いて明治27(1894)年に鉄道工場が設けられたのです。
それ以来、川越線・東武野田線・東北新幹線・上越新幹線・ニューシャトル伊奈線・埼京線も開業し、鉄道業界では
「大宮にないのは鉄道管理局(JRでいう支社)と連絡船だけ」
と言われるようになりました。(★2001年4月には、JR東日本東京地域本社から分かれて大宮支社が発足)
さらに、東口に高島屋・西武百貨店(現:Loft)、西口にそごう・ダイエー・ARCHE(アルシェ)などが集まる商業拠点に成長し、21世紀にはさいたま新都心の北口としてさらなる発展を続けるでしょう。
そんな折も折、10月14日の“鉄道の日”にちなんで、JR大宮工場を一般公開する「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」が、去る10月28日に開催されました。今回は、当コラム第10回「電車で一杯。」を担当してくれた神楽橋かなめ先生をうまいこと口車に乗せて連れ出しました。最近、取材ゲストが充実しているようですが、筆者が仕事に追われて学生時代の友達づきあいをカバーできず、ある種の危機感にさいなまれているからなのかもしれません(←他人事みたいに)。
今年は10月14日の鉄道の日がちょうど土曜日にあたり、東京・日比谷公園での鉄道フェスティバルをはじめ、全国各地で鉄道イベントが行われていたのですが、よそとの競合を避けたのか、それとも“目玉展示品”を借り受ける日程がうまく合わなかったのか、2週間遅れで催行されました。同じ日によそで似たようなイベントをやっていないので、関東近郊から鉄道愛好家がワンサカ集まってくるかな、とは思っていたんですが。
ニューシャトル伊奈線で出てくる神楽橋先生と、(大宮駅構内で一番工場に近い)ニューシャトル大宮駅改札前で10時に待ち合わせておりました。鉄道フェアは9:30〜15:00なので、開門直後の早い時間に来れば比較的空いているのでは、と思っていたら、さにあらず。階段を下りてみたら、目の前の狭い歩道は鉄道マニアと親子連れの長い列。蛍光グリーンのジャンパーを羽織った工場職員や来客整理の警備員が誘導していて、どうやらこれが工場への入場待ちの列であるらしい、と理解するまでにやや時間がかかりました。列の最後尾に回らなければ、と狭い歩道を逆向きにたどれば、ニューシャトル駅から献血ルームもロッテリアも花屋も過ぎて、ついにJR大宮駅西口の大階段を上って、駅2階のコンコースに差し掛かっていたのでした。ここから工場正門までの道のりは、およそ540m。日頃より鉄道おたくを自称する私が、熱心なる鉄道愛好家どもの行動パターンを読みきれず、行列の中でかすかな敗北感を味わいながら、10時半頃にようやく大宮工場構内に到達したのであります。入場無料。
アスファルトではなくコンクリート舗装の、日頃はきっと殺風景であろう工場構内は、万国旗が張り渡される下にマーキーテントの物販ブースが立ち並んでいます。薪能の絵柄の扇子もある大宮市観光協会や、車内販売のNRE(日本レストランエンタプライズ)、そして運転士用の時刻表を売っていたJR東日本東北支社小牛田運転所など。昼食向けにお弁当も売っていましたが、残念ながら駅弁大会ではありませんでした。
子供向けアトラクションとしては、3両だけの豪華寝台車両“夢空間”を連結した ミニSL (写真右→)や、2代目MaxことE4系を模したミニ新幹線、ディーゼル機関車を30人がかりで引っ張れるかという綱引き大会や、金魚すくいやビニールロケット作りなどなど。
一方、鉄道愛好家向けの出し物の目玉は、博多〜佐賀〜長崎を結ぶL特急〔かもめ〕用に今春登場したJR九州・885系電車(←写真左)。昔の新幹線のような、ドイツのICE(InterCity Express)のような面持ちの、それでいて白と黒を斬新に扱った、神楽橋先生も絶賛のカッコイイ特急電車であります。
このほかにも、旧型国電:クモハ40形や、今春より宇都宮線に投入されているE231系、試作に終わったガスタービン車:キハ391系や新旧各種機関車などの実車展示があったり、車体を吊り上げて工場内を移動させるクレーンのデモンストレーション、ドア開閉ボタン操作し放題、工場内で隣の線路へ車両をスライドさせる“トラバーサー”の乗車体験、そして速度計・前照灯やブレーキ操作台など決して個人向きではない鉄道部品の即売会(数人ずつ・時間制限つき)などなど。
鉄道マニアだけでなく、その予備軍たる子供たちを伴った家族連れも多く見受けられましたが、
家族連れというものは、しばらく見ないうちに、
これほどまでにおもしろーく進化していたのか(特にパパ!)
という光景を目撃してしまいました。
その1 「おしっこコーナー」
いきなり尾篭(ビロウ)ですいません。トイレ・便所・手洗い・御不浄・WC・厠などなど、言いようはいくらでもあるのですが、小走りで我が子の手を引きながら「ほら、あそこにおしっこコーナーがあるよ、ほらっ」と、父親が。
その2 「でんでん」
カタツムリ・マイマイの類ではありません。2時間ドラマに出てくる俳優でもありません。“自動車”の幼児語として“ブーブー”という表現があるのは存じ上げておりましたが、我が子を抱えながら新型かもめ(883系)を指差して「ほら、あっちにもでんでんだよ」と、父親が。
その3 それでもビデオカメラを回し続けるパパ
工場の構内なんて、子供が走り回っても転ばないように段差を減らそうなどという気遣いとは無縁の場所です。しかるに子供は、特に非日常の空間では必要以上にはしゃいで走り回ってしまうものです。案の定、ぱっと駆け出した一人の男の子が転んで、「ぅあ〜〜ん」と泣き始めました。そこへすかさず両親が駆け寄り、母親は抱き起こそうとする。一方の父親は、母親より一瞬早かったかと思ったら、手にしていたビデオカメラを傍らに置こうともせず、むしろ決定的瞬間だとカメラ片手に我が子の正面にまわり、泣き顔をアップで撮り続けるのでした。
……某国で、テレビ局がニュース映像を大々的に募集したところ、本職そっちのけでスクープ映像を追い求めて、他人のプライバシーを侵したり犯罪に巻き込まれたりする一般市民が多発してしまったのだそうですが、わが日本の埼玉でも(その家族が埼玉県内在住かどうか走りませんが)、保護者としての行動よりもカメラマンとしての行動が先立ってしまった“パパ・カメラマン”の哀しき生態を垣間見てしまったのであります。
そういえば、2匹のリスについて、何にも言及してませんでしたっけねぇ。
地元出身の絵本作家・あすかけん氏の『こりすのトト』シリーズ(偕成社)が人気を博し、そのキャラクター「こりすのトトちゃん」が大宮市のマスコット的存在になって、その後NTT関東サッカー部がJFLに入るとき、マスコットにリスの“アルディ”を採用し、スペイン語でリスを意味する「ARDILLA」からチーム名を「ARDIJA(アルディージャ)」にした、ということらしいです。
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こりすのトトちゃん→ |
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