東雲の卒業旅行第1弾・雪まみれの北紀行
 (2000年2月21日〜29日・6泊7日+車中2泊)
 ★東雲が乗り降りしたり通過したりした駅名・停留所名等には[]を付ける。
 ★列車名・バス便などの愛称には〔〕を付ける。
 ★注釈を要する語句は脚注へのリンク《※0》を張ってある。
  また、短い注釈はカッコ書き(こんな感じ)にしている。

【2月21日(月)】
 いきなり列車が遅れるとは前途多難な旅立ち

  • 19:10 池袋のアルバイト先を退勤。北国行きの1週間分の大荷物を抱えてやって来たのだが、誰にも何にも尋ねられなかった。当方もわざわざ宣伝せず、そそくさと退散する。
      西武百貨店池袋店8階のレストラン街に上り、とんかつ定食で夕食。混みあう店内に恐縮しながら大荷物を持ち込むと、2人がけテーブルの片方の椅子をどこかへ持ち去り、そのあとのテーブル下へバッグを収めた。デパート内だけに買い物の荷物を持ち込む客が多いのだろう、この一連の対応が妙に手馴れている。……まぁ、忙しい時間帯に立ち往生されるよりはキビキビと動いてくださり、ありがたいことである。
      注文を済ませた直後、W君《※1》から手元のPHSへ電話がかかって来る。1週間前に開催した独演会の感想などを言うために電話してみたとのこと。今度、埼玉をネタにして一緒にWeb Pageを作ろう、そのためにもまた会って晩ご飯でも食べに行こう、とか何とか。ウダウダ話しているうちにとんかつ定食が目の前に到着したが、電話の向こうの彼はそんなことに気付く由もなく、あくまでマイペースであった。揚げたてのかつとキャベツにソースを回しかけながら、散漫な話を締めくくって電話を切り、ようやくとんかつに箸をつける運びとなったのである。

  • 20:30 私が乗る夜行快速は新宿始発だが、池袋にも停まるのでそのまま待っていてもよいのだが、池袋駅には待合室がない。プラットホームにベンチがあるものの、寒くて寒くて2時間以上じっとしている気になれない。もとより時間がたっぷりあることは分かっていたので、始発駅から乗るべく指定券は新宿から買ってある。それでも新宿へまっすぐ行ってしまっては、埼京線で5分・山手線内回りで10分。かといって山手線逆回りに乗るのは芸がなさすぎるし、実はもう幾度となくやっている。どうせ夜で外が見えないのだから、[池袋]から[新宿]へ地下鉄丸ノ内線に乗ることにする。約35分、190円。それでもまだ21時を過ぎたばかり。一駅戻って[新宿三丁目]から新宿通りをチンタラ歩き、アルタ前を過ぎて東口から南口、そしてまた東口に戻って、130円の切符(高田馬場まで)《※2》を買って入場。21:30から5・6番ホームのベンチで、各方面へ出て行くホームライナーを眺めながら『東スポ』に目を通す。

  • 22:45 ようやく9番線に、快速〔ムーンライトえちご〕が渋谷方向から入線。6両編成の5号車は前から2両目。66%の高確率で、モハに当たってしまった。夜通し走る電車のモーター音に眠りを妨げられないかどうか。シートピッチ(座席の前後の間隔)がかなり広いので、重たいカートバッグをひざの前に置いても窮屈でない。車内の暖房がよく効いているので、コートを脱いでひざの上にまとめ、もらい風邪を防ぐためにマスクを付ける。

  • 23:09 快速〔ムーンライトえちご〕が[新宿]を発車。23:15 [池袋]2番線着。23:16にすぐ発車するはずだが、発車メロディが鳴り止んでも動かない。ホーム立ち番の駅係員が後方へ駆けて行くので、急病人でも出たのかと思ったが、構内放送によれば「23:08頃、北上尾〜桶川間で貨物列車と自動車の踏切事故発生、当列車は池袋で抑止(運転を当分見合わせ)」とのこと。夜行列車は途中駅で長時間停車したり、真夜中はゆっくり走ったりするから、少しぐらい遅れても実害はないだろう、と慌てず騒がず。
  • 23:20 頭髪だけでなく脳みその芯まで黄色く脱色していそうな若者が4人入ってきた。夜汽車で旅をするには手荷物が少なすぎる。どうやら大宮まで帰るらしいが、当然指定券は持っていない。ややもすると乗車券さえごまかしかねない。後方から車掌が歩いてくるとニヤニヤしながらすごすごと退出していき、通り過ぎたのを見届けてまた席につく。もはや彼らには悪意のかけらもない。ここで構内アナウンス「事故車を撤去し、警察の現場検証が終わってから運転再開しますので、大宮へお越しの方は埼京線で……」。例の連中はようやく、終電まで混雑する埼京線へ移っていった。

  • 23:40 後続の大船始発〔シュプール上越3号〕(0:03発)は、品川駅で抑止中とのこと。事故現場へレッカー車が向かっている、という構内アナウンス。ホームには、シュプール号を待つスキー客が座り込んで待っている。当方の乗客の中には、新潟県内へ行くらしき人が携帯電話を手に、ホームへ出ていく姿がちらほら。未明の駅で家族や知人が迎えに来てくれるのだろうか。専ら一人旅の私は、「長岡まで270kmを表定速度80km/hで行けば、所定5時間を3時間半で走破、だから1時間半遅れても大丈夫」などと無茶な想像をして開き直る。
  • 23:52 「レッカー移動終了、12時頃運転再開の見込み」とのアナウンス。
  • 0:15 「作業が手間取っており、依然として再開見込み不明」だって。おいおい。
  • 0:27 [池袋]を71分遅れて発車。中里トンネル(駒込〜上中里間)で大徐行、所定10分を15分かけて[赤羽]到着。その直後やや巻き返して[大宮]は74分遅れ。先行の普通列車が籠原止まりだったのか、籠原を過ぎてようやく飛ばし始める。ラジオでは、伊集院光が原付免許を取り直した話をしている。

    《※1》W君……高校以来の友人。ハンドルネームは“箆作(べらさく)

    《※2》130円の切符(高田馬場まで)……私は「(早稲田〜)高田馬場〜鴻巣」の定期券を持っているので、新宿〜高田馬場の乗車券を買い足したのであって、断じてキセルではない。


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