月刊コラム page 24.

 の町! 空を見上げて自由を想う吉田町

  さいたま市の政令指定都市移行も、穂積市長の個性的な政策でおなじみの志木市も、途中まで書きかけて書き進まなくなってしまいました。見沼区の名前に文句を言う人はいなくなり、志木市に住んでいた上田清司氏が埼玉県知事になり(志木市の自宅を引き払って、県庁北側の知事公邸に移ったそうですが)、というわけで機を逸してお蔵入りにしてしまいました。
  ですから今回ぐらいは“ネタは古いけど料理は手早く”ということを心がけて、実に1年7ヶ月ぶりにコラム」更新です。……知事が替わったからさいたま」というキャッチフレーズはどうなるのか、と一時騒がれましたが、その騒ぎもすっかり収まってしまいましたし、何より「」というフレーズはすっかり定着してしまいましたので、当コラムでも(よほどのことがない限り)使い続けていこうと思います。

吉田町略図   で、土屋前知事が辞める間際に話題になったのが、「西秩父桃湖」という名前のダム湖。名称公募では、土屋前知事の長女・市川桃子被告の名を取って知事のご機嫌を取ろう、という地元土建業者の組織票が功を奏して、桜の名所でこそあれ桃の木など1本も植わっていないダム湖に“桃湖”という珍奇な名がついてしまいましたヤマモモならたくさんある、という苦しい言い訳も出ましたが)。週刊『SPA!』2003年8月5日号では、“土屋王国”が産んでしまった県内各所の“負の遺産”を目の当たりにして、大川興業前総裁・大川豊氏がテンションを低くしている模様が報じられました。そんな土屋ショックと県知事交代から3ヶ月、いい加減にほとぼりも冷めた西秩父桃湖がある埼玉県秩父郡吉田町へ、紅葉狩りがてら出かけてみようと思い立ちました。……紅葉はそんなにきれいじゃなかったですけど。

  【吉田町は、皆野町の西隣】

  町を東西に貫く吉田川は、小鹿野町からやってくる赤平川と落ち合い、皆野町で荒川に合流します。吉田町へのアクセスは、赤平川沿いに皆野から入るのが一般的で、路線バスなら皆野駅前から吉田町元気村行きか小鹿野車庫行きに乗ることになります。当初はバスをうまく乗り継いで行こうと思っていたのですが、いかんせんバスの本数が少ないので、一人旅ながら気ままに動けるレンタカーを秩父市内から利用しました。秩父市街を出て、国道299号線から吉田町への近道があるにはあるのですが、センターラインがあったりなかったりするクネクネした山道で、山を2つ越えねばならず、文京区内ならすいすい走れる不肖東雲でも、この道には少々難儀しました。後ろから地元の軽トラがぴったりついてくるし。かと言ってなだらかな道を選ぶと遠回りになるし。借りた車が、小回りの利く“ヴィッツ”だったことはせめてもの救いでした(加速はあまりよくなかったけど)

合角ダム

  【合角ダム西秩父桃湖

  吉田川の上流に向かって県道を西進すると、上吉田の集落。県道から分かれて左へ進むと、間もなく前方に立ちはだかるコンクリートの構造物。これが合角(かっかく)ダムです。ちなみに「合角」とは、ダム湖の底に沈んだ集落の地名で、ダム本体は吉田町上吉田にありますが、合角地区は小鹿野町に属していました。
  ダムの手前左側には、「吉田町元気村」という施設ができています。敷地内の看板には、
「この施設は、水源地域対策特別措置法に基づく水源地域整備事業により建設されたもので、下流受益者の交付金が含まれております。」
と、ダムのついでに造った代物であることが明記されています(施設名が「町民体育館・秩父吉田健康村」と微妙に異なるのですが)。フリークライミングの壁がある体育館や、コテージやキャンプサイト、さらに入浴施設まであるというアウトドア拠点、……なのですが、土曜日だというのになぜか「休館」。町のホームページであれだけPRしているのに、もうつぶしてしまったのか? と思ったら、そうではないらしいことを後で(まるっきり別の場所で)知りました。そういう大切なことは、ホームページに書いとけよ、まったく。

  比較的新しくて広い道を登れば、駐車場にダム管理事務所、さらに“桃源亭”とかいう小さな食堂兼みやげ物屋があります(写真右→)。どこかのwebページに“素朴な味の手打ちそばが人気”と書いてあったような気がしますが、入口の事務的なアルミサッシも含めて、そのお店にはそば屋らしいたたずまいが見られず、ここでそばを食いたいとは思いませんでした。……実際にそばを食ってみて“当たり”なら、それはそれでめっけもんなんですけど。 「西秩父桃湖」の碑 その隣にある管理事務所は1階が展示室になっており、合角ダムをどうやって造ったのかオオサンショウウオ坊やとナマズおじさんが教えてくれるビデオを見られます。まあ、ありがちですな。あ、そうそう。“桃源亭”と管理事務所の間に、湖底に沈んだ小鹿野町倉尾地区にあった石を使ったという命名碑がありました(←写真左)。「埼玉県知事 土屋義彦 謹書」ですって。
  合角ダムには第3駐車場まであるのですが、そのうち第2駐車場の前には、女形入口というバス停があります。女形(おながた)とは、吉田川とともに合角ダムへ注ぐ支流・女形川の上流にある集落の地名で、ダムができるずっと前からこの辺りにあったバス停なのでしょうけど、せっかく合角ダムの目の前にバス停を移したんですから、「女形入口(合角ダム管理事務所前)」などと改称すれば、物好きな野次馬観光客を呼べるんじゃないですかねぇ、西武観光バスさん。

「女形入口」バス停   そのバス停のそばに、コンクリートを打ち付けた斜面をはい上がるような、丸太を組んだ階段が。ダム建設にも携わった大手建設会社の銘板をみつけながら212段を上りきると、その上は4畳ほどのスペースの“展望台”になっていて、ダムと湖を見下ろすことができます。ただし午前9時から午後4時までの時間制限つき。管理事務所の職員さんが、階段の上り口に鎖を渡して錠をかけるのでしょう。
展望台から元気村を望む   その展望台から北側を望めば、吉田町元気村と、塚越・上吉田の集落が見えます。←写真左の左端、川沿いに立つ白い大きな建物は、こんな山間には似つかわしくない3階建てのアパート。“塚越団地”だそうで、ダム建設に伴う代替住居ではないかと思うのですが、どうなんでしょう。

展望台から西秩父桃湖を見下ろす
合角漣大橋
写真右→
「西秩父桃湖」
合角ダム管理事務所を、
展望台から見下ろす

←写真左
「西秩父桃湖」の南側から、
合角ダムを望む。
湖の中ほどにかかる斜張橋は
「合角漣(さざなみ))大橋」。


龍勢会館とオープンセット

  【10月の第2日曜日は龍勢まつり】

  合角ダム西秩父桃湖だけでかなりの行数を費やしてしまいました。紙媒体と違ってWebは“紙面”の制約がないですけど、1ページをあんまり長くする(特に写真を多く使う)と、読み込みに時間がかかってしまいますんでね。というわけで、吉田町の巻を構成する“三本柱”のあと2本は、ごくあっさりとやりますので、もうしばらくのご辛抱を。

  そんなこんなで合角ダムと西秩父桃湖を後にして、吉田町の中心部の東端、皆野から来ると町の入口に当たるところに「道の駅・龍勢会館」があります。龍勢まつりのVTRを年中見られる展示館「龍勢会館」と、みやげ物店と食堂が併設された「龍勢茶屋」の2本立て。龍勢会館のすぐ隣には、蔵造りの商家が建っており、軒を接する龍勢会館の方にも、時代がかった軒先が継ぎ足されています。改築にしては中途半端だなと思いましたが、後述の映画撮影のオープンセットなのでした。「茶屋」の方で食事を取ると、透明なビニルのテーブルクロスの下には、町内の観光スポットのチラシとともに、映画「草の乱」の撮影地ガイドがひいてあります。「吉田町元気村は、映画撮影のため、年末まで休業です。」……あー、そういうことですか。
龍勢を打ち上げるやぐら
  そもそも「龍勢」とは、椋神社の秋の大祭に奉納する神事として代々伝えられてきた、農民による手作りロケットのことです。長さ18mの竹竿の先に火薬を詰めた筒を縛りつけ、先端には落下傘や花火など各流派が工夫を凝らす仕掛けを取り付けて、打ち上げること30本余り、うまく揚がれば上空300mに達するとか。西秩父桃湖へ行くことを夏場から企んでいながら、吉田町をコラムのネタにすることを決めたのが1週間前だったので、10月の第2日曜(今年は12日)の“龍勢まつり”の時機を逸してしまったのは残念でしたが。……そういえば、祝日法の改定で体育の日が「10月の第2月曜日」に変わったので、「龍勢まつり」はおよそ7分の6の確率で3連休の中日にあたる(14日が第2日曜だと、その翌日・15日は第3月曜だから体育の日にならない)わけですね。
  椋神社の神事ということで、打ち上げ場所は龍勢会館から東へ約800m、椋神社から望める北側の斜面(←写真左)。数年前から、TBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO・永六輔その新世界」でラッキィ池田氏が生中継レポートしているので、だんだん知られるようになってきたようです。

  で、“龍勢のまち”として売り出している吉田町のマスコットキャラクターは、やはり龍をモチーフにした『りゅうごん』。これを描いたのが、なんとあの石ノ森章太郎というから驚きですが、なぜ吉田町と石ノ森氏が結びついたのかは知りません。で、その『りゅうごん』がどんな姿なのか、さすがにここに載せるわけにはいきませんので、吉田町ホームページを御覧頂くことにしましょう。

埼玉新聞紙面より

  【秩父事件の起原・椋神社と映画『草の乱』】

  国鉄の順法闘争による列車の遅延と大混雑にキレた通勤客が暴徒と化し、上尾駅で車両や駅施設を破壊した「上尾事件」も有名ですが、日本の民主主義史上で最も重要な事件の一つ「秩父事件」を語るとき、吉田町を避けては通れません。歴史(日本近代史)の授業で必ず出てくる秩父事件の詳細はさまざまな形で著されていますし、昭和55年にはNHKの大河ドラマ『獅子の時代』でも大きく描かれましたから、あえてここでほじくり返しはしませんが、事件の首謀者はほとんどが現吉田町出身、“秩父困民党軍”が結成されたのは吉田町の椋神社、そして軍や警察に逮捕された蜂起参加者3000名余りのうち約4分の1が現吉田町の人だったとか。吉田町の観光マップには、困民党幹部がそれぞれ住んでいた家が載っています。

  秩父事件が勃発したのは1884(明治17)年11月。100周年の時には、この事件がただの農民一揆ではなく自由民権を勝ち取るための政治活動でもあった、という研究が進み、全国各地で記念行事や顕彰運動が行われました。そして現在、『ハチ公物語』『ひめゆりの塔』『大河の一滴』などで知られる映画監督・神山征二郎氏の手により、秩父事件120周年記念映画『草の乱』が来春完成に向けて撮影の真っ最中です。事件からちょうど119年後の11月1日には龍勢会館前で製作発表の公開記者会見が行われ、同日夜には椋神社境内で600人のエキストラとともに蜂起のシーンを撮影しました(写真右→)吉田下郷のオープンセット さっきの龍勢会館に隣接して建っていたのは、本作の主人公・井上伝蔵の家(丸井商店)を復元したもので、撮影終了後は資料館になるそうです。また、龍勢会館から南へ500mほどのところには、秩父郡大宮郷(現在の秩父市中心部)を再現したオープンセットが組まれています(←写真左) し、先述の吉田町元気村はスタッフや役者の宿舎になったり、体育館の中にもセットを組んで撮影したりしているそうです。

  ちなみに『草の乱』のキャストは、主演に緒形直人。ほか、藤谷美紀・田中好子・林 隆三・杉本哲太などなど、普段あまり映画やドラマを見ない私でもよく知っている豪華な面々ですよ。ここまで調べてしまったからには、来春はン年ぶりに映画館へ足を運ばなくてはいけない気分になってきました。



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